スコット・マクラウド(監訳:岡田斗司夫)『マンガ学』

傑作である。感動である。「マンガによるマンガのためのマンガ理論」と標榜している本書は、凡百の「漫画論」を一瞬にして黙らせる本当に素晴らしい漫画理論だ。(少なくとも俺が手に取った限りにおいて)今までに出版されてきた「漫画論」のほとんどが、実は稚拙な「漫画についての戯言」であったことを、本書が証明しまったように思う。

漫画は「絵」と「字」から成り立っているのであり、漫画を、漫画の文法とも言える「絵」と切り離して考えることは出来ないと思う。しかし今まで「漫画論」と呼ばれていたものは多くがテクスト偏重主義であった。もちろん漫画をストーリーやテーマやモチーフの面から――つまりテクストの面から読み解いていくことはとても重要な作業であるが、『漫画の時間』で「テクストばかりに注目せずに絵にも注目せい!」と述べたいしかわじゅんでさえ、少し詳しく見ると「この絵は一般的には下手だと思われているけれど、実は上手いのだ」といったレベルでしか絵に触れていないことも多かった。残念ながら、それが(俺の視界に入る範囲での)現在の漫画論の実情だったのである。

しかし本書はかなり深く「絵」にアプローチしている。本書はまず、「漫画」が表現形式として「活字」や「絵」や「映像」とどう違うのかを粘り強く述べることで「漫画」を定義していき、次に、漫画におけるデフォルメ(記号化)の奥の深さやコマ割りやフキダシや効果音といった、漫画において重要な多くの要素について言及し、「絵」から逃げることなく「漫画とは何か」を考察していったのだ。さらに本書はその過程で、漫画が子供だましのものと見られてしまう原因も明らかにし、同時に漫画が子供だましのものでも劣ったものでもない、良くも悪くも(活字や写真や絵や映画といった)数ある表現形式の1つに過ぎないことを証明してしまう。ずっと俺は思ってきたのだけれど、「漫画」自体は良くも悪くもない。良い漫画と悪い漫画(面白い漫画とつまらない漫画)があるだけなのだ、と改めて認識した。

最後に、本書の帯に書かれたコピーを引用しよう。

メディア学からマンガ学へ。混迷のメディア界を救う最もラディカルなコミュニケーション理論、誕生。全米のマスコミをうならせた怪著、ついに日本上陸!! 「一言でいうなら……これはアメリカのオタクが描いた≪見る・知の技法≫です。」

コピーに偽りはない。むしろ控えめなくらいだ。まさに怪著である。本書は漫画を記号論的に読み解いていくことで、「漫画論」を「漫画学」へと劇的に進化させたのだ! 活字とも絵画とも映像とも違った「漫画ならではの漫画独自の読み解き方」を構築するべきだと俺は思ってきたのだが、本書は漫画を読む際の基礎的な文献の1つになるのではないか。