今一生『「出会い系」時代の恋愛社会学』

これほどつまらない本には久々に出会った。非常に平易な(ショボい?)言葉で語られており、1日で読める程度の内容だが、1日を費やすだけの価値はなかった。結局は「多様な愛やオープンなセックスを認めろ」という“若者に理解のある人々”のお決まりのパターン、「依存的な愛は良くない」といった誰でも言える言説、そういったものに還元され得る底の浅い議論だと思う。

二言目には「僕は――」「僕は――」と自分を引き合いに出すのが非常に不愉快だ。特に、事あるごとに語る今一生の恋愛観やセックス観は完全に主観である。社会学的データには程遠く、全く説得力がない。一体これは社会学と言えるんだろうか? さらには「僕の射精欲はもともと淡白で、――」と来たもんだ。参ったねこりゃ。オマエの性欲の強さなんて誰も聞いてへんっちゅうねん!

また著者は「ダッチワイフの女(人形)の名前」や「絶対にSEXできるナンパ方法」で飽き足らず、「潮吹きの方法」まで賢しらに披露している。それらもやはり社会学ではない。自慢げに語られる「絶対にSEXできるナンパ方法」は本当に本書に必要なものなのだろうか? 読者をナメているとしか言いようがない。しっかり出会い系サイトを論じろコノヤロー。読んでいて見苦しい。また今一生の肥大した自意識はタイトルにも印字されている。なぜか今一生のローマ字はCon Isshowです。そのCとwは何ですか?

「要するに“びっくりルポ”+“独断と偏見”ということか?」と俺に言ってきた友人がいるが、非常に的を射た表現だと思う。凡庸な体験ルポや自伝やエッセイレベルの説得力しかなく、ここでの「社会学」とは100%レトリックであろう。とりあえず『「出会い系」時代の恋愛社会学』というタイトルは、『「オナニー」時代の風俗自分史』くらいに変更した方が良さそう。「潮吹きの方法」を正しく知りたい人以外は買わなくて良いです。

批判だけではカワイソウなのでフォローすれば、第2章150ページからの「くるくる」というSMサークルに関する記述は、社会学ではないけれど、ルポや体験記の類としてなら少しだけ面白かった。買うほどの価値は全然ないので、サラッと立ち読みで済ませよう。