浅羽通明『教養論ノート』

昨日読んだ『野望としての教養』の続編的な位置づけ。

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各自が「自分の生き方」にフィードバックし易いかたちに知識人の言説を並べ直すことが大事なのだと浅羽通明は述べている。なるほど、それは確かにそうなのかもしれない……が、どう「自分の生き方」へフィードバックさせるのかをもっとしっかり語るべきではないか? 引用引用の連続で冗長さばかりが目立つ代わりに内容は薄く新味にも乏しい。それに、(俺は経験していないが)知性がファッションやアクセサリーとして受容されたニューアカデミズムの時代は既に終わったのに、浅羽通明の言う「教養」が今どれだけの意味を持ち得ているのかも疑問だ。未だに「教養」「教養」で何とかなるとも思えない。

「自分」を中心とした教養の再構築を促すだけの内容でしかないなら、もっと短くコンパクトに書いてほしかった。