石原千秋『秘伝 中学入試国語読解法』

日常的に読書をしていると、気に入っていたり注目していたりしている書き手やシリーズが出てくる。俺の場合、例えば藤原和博であり、例えば「90分でわかる」シリーズであり、例えば(サイエンス・サイトークにおける)日垣隆であるが、参考書フェチな俺が受験参考書の類で意識している書き手の1人が、この石原千秋である。

石原千秋は受験国語に関する本を幾つか出版しているが、予備校講師というわけではない。記号分析を用いて日本近代文学(主に漱石のようだ)を研究する大学教授・文学研究者である。また学校教科書の選定に関わったりもしている。そういった「学校側」に属する人物が、中学入試についても高校入試についても大学入試についても参考書を書いている。第一線の参考書の書き手としては、かなり異色な存在であろう。

本書は、息子と二人三脚で取り組んだ中学入試の模様を描いた「体験編」と実際の中学入試問題を解説した「国語問題読解編」の二部構成となっている。体験編では著者の家族の戸惑いや試行錯誤を率直に書くことで、よりリアルな中学受験の実像を見せようという狙いがあったようだ。個人的には、その狙いは成功していると思う。国語問題読解編では、文学研究者としての武器である記号分析の手法を用いているそうだ。国語問題読解編での「二元論」や「物語の型」といった概念を用いた読解は、小手先のテクニックや曖昧な読みに陥ることのない、わりと正統的なアプローチだと感じた。

ただ、本書のアプローチは、小学生に教えるには正直かなり理屈っぽく、ほとんどの小学生は本書を読みこなし使いこなすことは難しいだろう。また400ページを超える大部である。それでも中学受験を行う小学生が家族と一緒に読むなら何とかなるというレベルでは説明されているが、読解力のない親であれば読みこなせないだろうし、説明能力のない親であれば子どもに説明できないだろう。

全体に硬派であり、「楽に国語力を伸ばしてほしい」といった甘い要望に応える本では全然ない。ただ、それでもなお、中学受験に本気で挑む親や中学受験に興味のある親は読んでみた方が良いかもしれない。なぜなら、中学入試に取り組もうと考えている親子にとって、非常に重要な現実があるからだ。それは、中学入試国語には恣意的な読みでは太刀打ちできないほど(特に評論は)難しい問題が出されているという事実、そして著者の「二元論」や「物語の型」といった話を全く知らずにダラダラ文章を読んで問題を解くには、(一部の)中学入試国語の問題文はあまりに長いという事実だ。

万人が読む必要のある本ではないだろう。しかし繰り返すが、中学受験に本気で挑む親や中学受験に興味のある親は読んでみた方が良いかもしれない。俺は体験編を読んで中学受験に対しての考え方を改めざるを得なかった。

例えば大阪の高校入試は、基本的に「私立高校1回」「高校入試1回」しかチャンスのない、取り返しのつかない非常にシビアな試験である。それに思春期の真っ只中にある中学生が挑むのである。高校入試とは、色々なことを否応なく考えさせられる思春期に、思考停止を強要するものである――シニカルな一面を強調するならば、高校入試をそのように見ることも可能かもしれない。また内申書が合否に大きく関わるため、学校に運命を握られているのである。何人もの社会学者が主張しているが、学校とは、さながら牢獄なのである。高校入試とは、自己表現の抑圧を強要するものである――そう見ることも容易である。

とかく中学受験は子どもらしくない非人間的な行為であると思われているし、俺もある程度そう思っていた。しかし親が押しつけるのならともかく、能動的であれ受動的であれ、子どもが希望して自発的に受験する場合はどうだろうか? ゲーム感覚で勉強する子どもが存在するのは確かなのだ。かくいう俺も(暗記は大嫌いだったが)物事を知ることや理解することや問題を解くことはそれほど嫌いではなかったし、問題に正解して満足するのも好きだった。しかも中学受験は大学入試のように何校でも受けられる。

思春期に突入する前にゲーム感覚で受験を乗り切って中高一貫校に入学することで、高校入試を回避し、豊かな時間を手に入れる――そういった側面が中学受験に存在することを初めて知った。目先の入試や内申書に振り回されることなく、じっくり腰を据えて本格的な学力を身につける機会を手に入れる――と見ることもできる。紋切り型の言説では見えてこない中学入試の機能は、ここにある。

馬鹿な親が自己満足や体面のために子どもを道具化するのは論外だし、子どもに過剰な期待を押しつけてしまうことは害悪だ。しかし、物事には全て両面があるのである。地元の公立中学→地元の公立高校が本当にノビノビとした「ゆとり教育」なのかどうか、少し考え直してみる必要があるかもしれない。必読。