東浩紀『郵便的不安たち♯』

東浩紀はジャック・デリダを主題とした『存在論的、郵便的』で華麗にデビューした思想家だが、本書はその『存在論的、郵便的』と並行して書かれ、両者は表裏関係にあるそうだ。ちなみに『郵便的不安たち』は文庫化に際して、かなり内容を加筆・削除したらしく、その意味で文庫版である本書には♯がついている。

初めて東浩紀を読んだとき、まず驚いたのが、東浩紀の文章の明晰さである。論理的整合性と理論的強度を備えた鮮やかな手並みは、俺の理想にかなり近い文体だった。簡単なことは言っていないが、もってまわった言い回しや無駄に難しい表現はほとんどない。著作でも対談集でも論文でも、今までに触れたことのある活字のほとんどはそうだった。

内容については、ジャック・デリダの問題を執拗に追いかける(そして俺があまり理解できなかった)『存在論的、郵便的』に対して、本書は方々で書かれた文章をテーマごとに収録した評論集と言えるだろう。東浩紀は現在オタク文化分析を中心とした現代社会の問題に積極的にコミットしているが、本書にもサブカルチャー問題への関心が多く見られる。漫画は俺も好きなので、その意味でも興味深かった。

ただ、巻末の解説にもあるように、本書は「問いかけ」や「整理」ばかりで著者なりの回答が非常に少なく、その点は気になった――というか、多少のフラストレーションを感じた面は否めない。しかし、それもまた安易な結論づけを回避したいという誠実な態度だと俺は好意的に解釈した。