東浩紀+笠井潔『動物化する世界の中で――全共闘以降の日本、ポストモダン以降の批評』

WEBで公開された往復書簡を収録したものだが、ここまで噛み合っていない議論を目にするのも珍しい。ほとんど最初から最後までズレ続ける。あまりの噛み合わなさに、東浩紀は往復書簡を中止しようとしたほどだ。

東浩紀は、9.11以降に世界は一体どうなるのか、9.11以降に思考や言葉はどのような役割を果たせるのか、9.11以降に思考や言葉はどこまで現実に拮抗できるのか、といったアクチュアルな問題について話し合いたい――と何度も必死に問いかけるのだが、笠井潔の方は東浩紀の問いから目を逸らし続け、80年代の総括がどうの、全共闘がどうの、マニアックなミステリー小説がどうの、といったことを喋り続ける。東浩紀は手を変え品を変え何度も笠井潔に詰め寄るが、笠井潔はシニカルでニヒリスティックな態度ではぐらかす――といった具合だ。

もちろん笠井潔にも言い分はあるようだが、俺は、ここはやはり東浩紀の方に肩入れしたい。9.11以降ということを主題にアクチュアルな問題を論じようという東浩紀の問いかけは非常に興味深いものだったし、それに対する、笠井潔が拘泥する80年代だとか全共闘だとかいったものには何のアクチュアリティも感じられなかったからだ。読者も東浩紀も求めていないようなアクチュアリティに欠けた言説を自分のために書き散らした笠井潔は、読者と東浩紀に対して、果たして誠実な態度だったと言えるのだろうか?

「もっと面白い対話になったはずなのです、私たちのこの往復書簡は!」という東浩紀の一言は、読者に対して本当に誠実で、心を揺さぶられた。しかし反面、笠井潔と比べると東浩紀は本当に素朴でナイーブだなあとも感じた。『網状言論F改』でセクシュアリティの問題を執拗に避けようとしたところでも感じたが、東浩紀の誠実さは、どこか「危うさ」と隣り合わせだ。