酒井邦秀『快読100万語! ペーパーバックへの道』

大学教授でもある著者が主催するSSSというグループ(あるいはメソッド)では、英文の多読によって英語力を養成しようという試みが行われている。その方法論の一端を載せたのが本書である。友人に読書好きなオマエにはピッタリだぞと言われて読んでみたのだが、確かに多読は俺が日常的にやっていることである。

英語力の向上のためには、一文一文を精読するべきか、それとも多くの文章を多読するべきか――この問題は(以前2chを見た限り)英語好きの間では大きな問題のようだ。英語力向上のためには精読も多読も必要だというのが妥当な回答だろうが、SSSは多読法の中でも非常に極端なスタンスに立っている。SSSは極端に英文法や逐語訳的な精読を排撃していて、100%の理解や細部にこだわった学習も嫌う。「日本語に訳さない」「辞書を引かない」「わからないところは飛ばす」「つまらなければ読むのをやめる(無理して読まない)」といった具合で、学校的な逐語訳的精読と対局のスタンスに立とうとしている。

また、SSSの多読法が他の多読法と趣を異にしている(であろう)点は、もう1つある。それは、SSSが非常に易しい本(ネイティブの幼児向けの絵本や外国人の子ども向けの本)を大量に読むことから多読を始め、非常にゆっくりとレベルを上げていくことである。一般的な多読法の出発点に当たるレベルに入るまでに100万語あたりも読むようだ。

SSSのメリットには「簡単なものを読むので挫折しにくい」「楽しい」「自分のペースや好みで本が読める」「多くの英語に触れることが出来る」といったものが挙げられているみたいだが、やはり英語を英語のまま理解する習慣が身に付きやすい(であろう)、ということに尽きそうだ。

「なぜSSSの多読法だと英語を英語のまま理解できるようになるのか」を俺なりの理解と表現で書くならば、例えば「アイ・ラブ・ユー」や「ハッピー・バースデー」を日本語に訳して理解している人はまずいないだろう。「アイ・ハブ・ア・ペン」や「ディス・イズ・ア・バッグ」を日本語に訳さないと理解できない人もほとんどいないだろう。それは「日本語に訳す必要もないほど簡単である」からであり、「あまりに頻繁に使用されているため既に内面化されている」からである。それならば、訳す必要もないほど簡単な英文から読み始めて、日本語に訳すことなく段階的にレベルを上げていけば良い、というのがSSSの考え方なのだと思う。赤ん坊の学習を模しているとも言えるだろうか?

確かに面白そうだし、細かいことを気にせず「ただ読む」のは、読書が趣味の俺には合っていると思う。書籍代が問題だが、ぜひ実行したい。ただ、精読のトレーニングや英文法の勉強をいつ行えば良いのか、あるいは“本当に”そういったことを永遠にやらなくて良いのか、そこのところがよくわからない。ネイティブは英文法の勉強も精読のトレーニングもロジックの勉強も行うと思うんだが。