伊勢崎賢治『武装解除』

武装解除  -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)

武装解除 -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)

本書は、何はともあれ、帯と扉部分の文章が印象的であった。扉部分には、

紛争解決の究極の処方箋?――DDR
ハンマーがひとつ、ふたつと、古びたAK47オートマティック・ライフルに打ち下ろされる。やっと銃身が曲がり始めたところで、涙を拭い、また打ち下ろす。ハンマーを握るのは、歳の頃は十八くらい。まだ顔にあどけなさが残る、同じ年恰好の少年たちで構成されるゲリラ小隊を率いてきた“隊長(コマンダー)”だ。(中略)何人の子供たち、婦女子に手をかけ、そして、何人の同朋、家族の死を見てきたのだろうか。長年使い慣れた武器に止めを刺すこの瞬間、この少年の頭によぎるのはどういう光景であろうか。通称DDR(Disarmament, Demobilization & Reintegration:武装解除、動員解除、社会再統合)の現場である。

という本文の一節が引用され、帯には、軍人に周囲を囲まれて泣きながら武器をハンマーで叩き割る少年の写真と共に、小さな文字で「いったい何人殺してきたのだろうか。武装解除の瞬間、ほとんどの少年は泣く。」という言葉が挿入されている。

著者は、インド留学中にスラム住民の居住権獲得運動に携わって以降、国際NGOの一員としてアフリカ各地で活動後、東チモール、シエラレオネ、アフガニスタンで紛争処理を指揮した経験を持つ。本書の帯にあるように「紛争屋」なのである。最前線で戦争と平和を考え続けてきた人間だ。だから、著者は口先の平和論や日本の自衛隊派遣のゴタゴタを(時に口汚いほどの言葉で)厳しく糾弾する。現場で動きながら思い知らされてきた著者には、平和ボケした日本の姿はじれったいようだ。本書を読むうちに、紛争地域の人道援助は、利権争いであり、政治であり、先進国のエゴであり、そして血の流れる戦いの中で行われる――ということを再認識させられる。

確かに、お気楽な平和主義者も、俺も、実はよくわかっていないのである。途上国の治安を回復させ、平和を維持するのに、いったいどれほどの「武力」や「血」や「労力」が必要なのか、想像もつかない。腑抜けた平和主義者に至っては、途上国における治安維持に武力の抑止効果がどれだけ重要か、といったことすら考えたことがないかもしれない。

本書の見どころは、DDRのフローとDDRの現場が詳細に書かれていることである。DDRの定義とフローの書かれた部分を引用してみたい。かなり長くなるが、非常に興味深い一節である。

DDRというのは、武装解除を完全なものにするためのシーケンス(手順)で、今では国際的に内戦処理の一つの定番プログラムとなっている。
最初のD。武装解除とはその名が示すとおり、戦闘員に銃を捨てさせることである。しかし、銃を捨てさせたところで、また銃が与えられれば再動員されてしまうかもしれないから、二番目のD。動員解除とは、軍事組織の呪縛を解くこと。RUFなどの民兵組織は、軍事組織というより盗賊集団と言ったほうがより実態に近いと思うが、どんな小さな民兵グループでも、かならず隊長(コマンダー)がおり、その他の兵士たちを指揮するという指揮命令系統(Chain of Command)が存在する。動員解除とは、その呪縛をとくため、理想的にはコマンダーの解任(もしくは拘束)、そして軍事組織を解体させる政治決定。つまり、武装組織の首脳陣に自らの腹心のコマンダーを解任させ、そしてその部隊の解体を命令させる。武装組織自身に、底辺からその構造を壊させてゆくのだ。だから、RUFのように一つの武装勢力があったとして、動員解除は、通常、その下部組織のほうから段階的に行う。同じ武装勢力内の上層部に、下部組織そして腹心のコマンダーを解任する責任を最後まで取らせるというやり方が、最も政治的に有効だからだ。これでやっと一般の戦闘員は“解放”されるのだ。
しかし、それだけではまだ不安だから、最後のR。貧困が再動員される理由にならないように、復員事業を行い、一般の社会生活に再統合(Reintegrate)するというものだ。復員事業とは、建設業、機械工など非常にベーシックな職業訓練であるが、Rができるのはここまで。忘れてならないのは、復興中の社会は、経済がほとんどゼロにまで疲弊しており、手に職を付けても、“ひとり立ち”、つまり、それで飯が食えるか否かは誰も保証できないということだ。シエラレオネは、復興後も、世界最貧国であり続けるだろうし、失業率の改善は望めない(内戦以前から、この国の人口の九割以上は、零細、それも生存ぎりぎりの農業に従事していた)。この意味で、Reintegrateとは、ほかの一般の民衆が享受している“貧困”への再統合であると言えなくもないのだ。

このDDRというのは、決して理想的なプロセスではない。まず、とても危険なプロセスである。何年あるいは何十年も戦闘行為や略奪ばかりしてきたような集団に入り込み、信頼醸成し、武装解除させようというのだ。しかも地域のパワーバランスが崩れると非常に危険なので、個々の勢力に対して順番にDDRを実施すれば良いわけではなく、複数の勢力に同時に入り込んで武装解除させなければならない。さらに、DDRで武装解除させられた戦闘員は、上記の引用部分で伊勢崎賢治が書いているように、貧困を受け入れることになる。危険な戦闘から精神的にも肉体的にも解放され、ベーシックな職業訓練を受けることはできるが、シエラレオネの経済そのものが復興を遂げるわけではない。このような問題点のあるDDRだが、しかし「止めよう」で済ませるわけにも行かない。リスクを負ってでも、誰かがやらなければならないのだ。多くの人が読むべき本である。オススメ。

最後に、1つ。著者は、武力の抑止効果も、憲法第九条が現実に即していないこともを十分すぎるほどに理解している。しかし、それでもなお、著者は本書の最後、「現在の日本国憲法の前文と第九条は、一句一文たりとも変えてはならない」という言葉を発している。その考え方に俺は必ずしも賛成するというわけではないが、著者でなければ言えない、大事な主張だと感じる。