重松清『日曜日の夕刊』

日曜日の夕刊 (新潮文庫)

日曜日の夕刊 (新潮文庫)

日曜日に夕刊を配るとしたら、あってもなくても構わないけれど、暗いニュースや悲観的なメッセージで埋め尽くされた普段の新聞や雑誌にはない、ふわっとした手触りをした、ささやかなおとぎ話を――という発想からつけられたタイトルだそうだ。このタイトル、著者は自画自賛していたが、俺も気に入った。仕事を始めてからしばらくは、日経新聞WBSなんかのニュースをかなり熱心に見ていたが、実は最近あまり熱心に見なくなった。ネガティブなニュースが確かに多すぎるのだ。もちろんゴマアザラシが川辺に来たとかレッサーパンダが立ったとかいったニュースはクソだし、世界はネガティブなんだと断じることもできる。ただ、もっと「世界」や「未来」に希望を持てるようなニュースはないものか……と思ってしまうのは確かである。
話がズレてしまったが、本書は、週刊誌に連載されたものに加筆した12の短編集である。いよいよ「重松節」とでも呼べそうな、あざといほどの巧さが漂ってくるようになった。
さめた都会派小学生がアウトドアと無縁な父とサマーキャンプに出かける「サマーキャンプへようこそ」、娘の逆上がりの練習に付き合ううち、自らの幼少時代の「逆上がり」にまつわる思い出を回想する「さかあがりの神様」、甲子園に出たこともある父が(息子とキャッチボールをしたかっただけなのに)少年野球の監督を引き受けざるを得なくなることで、下手な息子を小学校6年間で一度も試合に出すことができないジレンマに囚われる「卒業ホームラン」などは、読んでいて胸やら目の奥やらが思わずアツくなる超上質の物語。
単身赴任で死ぬほどの苦労をして、忙しくて風呂に入れないことによる体臭をごまかすためにオーデコロンをつけだした父親が、単身赴任を終えて戻ってきた。しかし、父親の存在も、オーデコロンの存在も、どうも疎ましくて仕方ない――という娘の心情を描いた「柑橘系パパ」は、賛否両論ありそうだし、俺も娘には全く感情移入できなかった(俺も着々とオッサンに近づいているのだろうか?)。しかし物語としてはよくできていると思う。
「後藤を待ちながら」も痛々しいほどに主人公の心情が伝わってくる。行き過ぎた悪ふざけが「ゴッちゃん」を自殺未遂にまで追い込んだ過去を持つ主人公とクラスメート達は、卒業25年の同窓会に「ゴッちゃん」が参加すると聞いて動揺を抑え切れない。主人公は、「行き過ぎた悪ふざけ」の被害に遭って学校に行かなくなっている息子を連れて同窓会に参加した。自分が今、25年前の報いを受けているのかと思いを巡らせながら「ゴッちゃん」の同窓会会場への到着を待つ――という物語である。
甘さとほろ苦さの入り交じる素晴らしい大衆小説。大人も子どもも楽しめる佳品。