佐藤郁哉『組織と経営について知るための実践フィールドワーク入門』

組織と経営について知るための実践フィールドワーク入門

組織と経営について知るための実践フィールドワーク入門

中原淳 編著+荒木淳子+北村士朗+長岡健+橋本諭『企業内人材育成入門』の巻末のブックガイドで紹介されていた、フィールドワークの入門書。太平洋の島々を訪れる人類学的なフィールドワークではなく、現代の企業組織や広い意味での経営現象を理解していくために「フィールドワーク」という調査方法を用いることの意味合いや可能性について記しており、むしろ社会学や経営組織論・心理学などの初学者に有益であろう。
読みやすい文章の上、Keyword(フィールドワークについて理解する上でカギとなる用語)やBook Guide(中級ないし上級以上の技法解説書)、Case(フィールドワークやその他の定性的調査技法による調査にもとづいて書かれた報告書の事例)が随所に挟まれており、理解を助ける上、飽きさせない構成である。内容については、フィールドワークの解説も面白いのだが、特に面白かったのはCaseの紹介と解説である。ルポルタージュ的なものからビジネスケース的なものまで、様々なケースが紹介されている。
例えば、ブラウォイの同意理論なるものが紹介されている。詳細は本書ないしマイケル・ブラウォイ『同意製造工場』に譲るが、簡単に書くと、ブラウォイが工作機械の操作員として働きながらフィールドワークを行う中でまとめた理論である。工場は一般に低賃金・重労働・単純労働・危険な職場であろうと俺は思うが、ブラウォイは工場の労働者を観察していく中で、「なぜ労働者はそんなにも一生懸命に働くのか?」という疑問を持つ。この問いに対する答えとしてブラウォイが提唱するものは「ゲームとしての労働過程」というアイデアである。様々な工夫を凝らして働くことが一種の「ゲーム」であり、そのゲームに興じることが、重労働や単純労働といった苦痛を軽減したり、工員たちの間のインフォーマルな社会関係で受け容れられ、一定の評価を得る。経営サイドにとっては図らずも真面目に働いてくれて嬉しい限りだし、工員たちも「ゲーム」に埋没することで苦痛を忘れられる。しかし工員たちはゲームに興じることで、現在の従属的・搾取的な地位・環境にあるという事実を結果的に黙認し、それに「同意」を与えてしまっている。そのことで従属的・搾取的な生産関係と階級間の関係に対する同意を製造し再生産している――という理論である。
ではサボったり転職すれば良いのかというと、そんなことを繰り返す人間には技能が習熟しづらいし、簡単に転職できない人も多いだろう。苦しい中にも楽しみを見つけて真面目に頑張ることが、処遇や社会関係に対する現在の辛い事実と今後の維持に対して(結果的に)労働者の側から同意を与えているという、なかなか考えさせる理論である。
またギデオン・クンダ『企業文化のエンジニアリング』はビジネスケースなのだが、資料や関係者からの聞き取りに終わらず、フィールドワーク的技法を用いて1年近くも内部から参与観察研究を行っており、一般的なケースとは異なる。クンダの問題意識は「企業文化(コーポレート・カルチャー)がいかに従業員の役割自己イメージと行動・感情の中に埋め込まれていき、またいかに従業員が一方では企業文化に対して一定の距離を保とうとしながらも、結局はその文化の中に取り込まれていくか」というものである。クンダが調査したテック社は、従業員の忠誠や高い生産性を生み出すことのできる「強い」企業文化で知られていたそうだが、テック社では企業文化専門の担当者がおり、会社による企業文化の維持・強化の試みや社員の反応が徹底的に描かれているそうだ。社員たちは経営サイドの試みに一方では反発を覚えながらも、結局は巧みな誘導に乗せられて仕事中毒気味になり、ついには「燃えつき」ていく様子なども描かれているそうだ。さながらマインドコントロールを行うカルト集団である。また1週間に3日も5日も「出勤」して内部から観察しているだけあって、社員たちの「儀礼的」とも言える社内文化を色濃く反映した特長的な会話や行動も描写されているらしい。
どちらも非常に面白そうな本なのだが、どうやら邦訳は出ていない模様。残念。未邦訳や絶版でなく、Amazonで新刊を買える日本語のケースは、以下の7冊である。

  • 沢木耕太郎『一瞬の夏』
  • 鎌田慧『自動車絶望工場』
  • 小笠原祐子『OLたちの〈レジスタンス〉』
  • ヘンリー・ミンツバーグ『マネジャーの仕事』
  • A.R. ホックシールド『管理される心』
  • 沼上幹『液晶ディスプレイの技術革新史』
  • 佐藤郁哉『現代演劇のフィールドワーク』

下の4冊は価格も高いが、上の3冊は文庫または新書であり、入手しやすい。安いし面白そうなので、最初の3冊は読んでみる予定。

追記

ギデオン・クンダの『Engineering Culture(企業文化のエンジニアリング)』は、本書を書いた2002/11当時は未邦訳だったが、2005/8に『洗脳するマネジメント 企業文化を操作せよ』として邦訳されている。複数の方に教えていただいたので、追記する。
洗脳するマネジメント~企業文化を操作せよ