- 作者: 鈴木博之,藤森照信,隈研吾,松葉一清,山盛英司
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2007/09/25
- メディア: 単行本
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表紙に採用されている礼拝堂「ル・ピュイ=アン=ブレ」を除いて、俺が最も心を惹かれたのは、カンボジアにある遺跡「タ・プローム」である(写真)。これは12世紀前半に仏教寺院として建てられたものが後にヒンドゥー教寺院に改修されたものだと考えられている。タ・プローム自体は完全に崩れ落ちた遺跡であり、巨大な樹木が遺跡を押しつぶさんばかりに育っている。けれどタ・プロームは、まさにタ・プロームであるがゆえに、どうにも抜き差しならないジレンマを抱えてしまっている。
熱帯の樹木は生育が速い。三重の回廊に囲われたタ・プロームの寺院は、樹木に巻き付かれ、からめ捕られ、抱きすくめられているようである。熱帯の樹木は遺跡を食いつぶすかのように伸びている。
しかし、ここで議論がある。巨樹は遺跡を壊しつつあるのか。それとも今や遺跡を支えているのか。こんな議論が起きるのも、現在この遺跡にも修復の波が押し寄せているからである。インド政府チームが数年前にタ・プロームの修復計画を発表したのである。
一般に遺跡の修復は、崩れた石材を積み直し、失われた部材を補充して往時のすがたを取り戻すために、作業を進める。
しかし、タ・プロームの遺跡から巨樹を切り払い、崩れた石材をもとに戻したら、廃墟の魅力は無くなってしまうのではないか。とはいえ、このまま放っておいたら、遺跡はまったく崩れ落ちてしまうかもしれない。
この問題に俺ごときが答えを出すことはできないが、少なくとも写真を見る限り、この大樹と遺跡は一体化している。であるならば、この一体化した存在自体を遺したいと俺は感じた。仮に崩れ落ちたとしたら……例えば、その崩れ落ちた様を遺すというのはどうだろう? まあさすがに言い過ぎか。しかし12世前半のピカピカの礼拝堂に修復したところで、それは21世紀の人間から見て「タ・プローム」と言えるのだろうか。あまり書くと、じゃあ全ての遺跡は修復するなということに受け取られかねないし、インドは修復に積極的なようだから、こういう「兵どもが夢の跡」的な感情は、日本人だけが持つものなのかもしれないけれど。
それにしても、大樹と遺跡の組み合わせは、色々なものを象徴するパワーを持っている。世界の不思議・生命のたくましさ・時間の雄大さ……俺のような凡人が言葉で書くと驚くほど陳腐で、B級エンターテイメントか失敗したNHK番組みたいになってしまうが、逆に言えば、言葉では容易に表現できない類のインスピレーションを、この遺跡は持っているのである。