冷泉彰彦『民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』

民主党のアメリカ 共和党のアメリカ (日経プレミアシリーズ)

民主党のアメリカ 共和党のアメリカ (日経プレミアシリーズ)

オバマとマケインのマッチレースもそろそろ大詰めということもあり、かなり盛り上がっているアメリカ大統領選挙だが、アメリカ大統領選挙に対する日本の報道は、どうも政治家のキャラクターのみに焦点を当てた報道が目立つ。バラック・オバマ、ジョン・マケイン、ヒラリー・クリントンの3人の政治的スタンスの違いを説明できる日本人が果たして何人いるだろうか? オバマは初の黒人大統領で、ヒラリーはビル・クリントンの奥さん&初の女性大統領で、マケインはオバマとヒラリーに比べたら地味で冴えないオヤジだけど、副大統領に指名したサラ・ペイリンは綺麗だから良いよね――という程度が、日本人のアメリカ選挙における理解のレベルであろう。
まあそれも仕方ない話で、日本人の政治に対する関心は極めて低い。そもそも日本の政党である自民党と民主党の違いすら、俺を含めた普通の人にはよくわからない。しかし、そのことで近頃の若いモンは政治に興味がないと嘆くのはお門違いというものだろう。はっきり言って、俺は日本の政治家と政治ジャーナリズムには極めて根深い不信を抱いている。俺たちは興味がないのではなくて、興味が持てないのである。その選択が本当に自身の人生に決定的な影響を及ぼすのだという危機感があれば、ニートだってフリーターだって多忙なサラリーマンだって主婦だって女子高生だって、それなりに真剣に政治的関心を抱くようになるだろう。政治的関心が低い理由には、グローバリズムに起因する「日本がダメでも日本人である自分が駄目になるとは限らない」という根本的な問題もあるが、より決定的な理由は「どうせ変わらない」という諦観である。
俺は政治というメカニズムには関心があり、かつ政治的な人間だという自覚がある(国粋主義者とか自虐史観者、保守とかリベラルとか、そーゆーことじゃなくてね)。しかし「自民党の麻生太郎の楽観論」と「民主党の小沢一郎のバラマキマニフェスト」は一体どこがどう違うのか? もちろん必要とする財源の額など細かいところでの違いは俺でも簡単に指摘できるが、本質的な違いは一体どこにあるのか? もはや報道機関ではなくイデオロギー蔓延装置と化した新聞や、クソみたいなテレビ報道をいくら見たところで、そんなことちっともわかりはしないのである。それは政治ジャーナリズムにも問題があるし、対立軸ではなく政局で展開されている日本の政治システムにも問題がある。象徴的なものは「マニフェスト」であろう。マニフェストなんて愚の最たるもので、マニフェスト登場当初は日本の政治も変わるかと国民はみんな期待したが、予想通り何も変わりはしなかった。報道機関だって真剣に取り上げて比較したのは最初だけだし、書かれたマニフェストの内容も大して守られてはいない。結局、あんなもの綺麗事ばかりでクソも拭けないから、トイレットペーパーの方がまだマシだとみんな思っているに違いないのである。いや下手をすれば、もうマニフェストという言葉は知っていても、その意味するところは忘れ去ってしまったかもしれない。
アメリカの政治や政治システムには問題もあると思うし、アメリカ国民みんなが政治マニアというわけではない。ペイリンは綺麗で庶民的だからと支持率が上がり、さすがに経験が浅すぎてマズいだろうとその後やっぱり支持率が下がる、といったミーハーな部分だってある。政治家の失言だってある。しかし、それでも日本のような「どの政党もどの政治家も、みんなクソ」という永遠に続く政治的空白に比べたら、まだマシというものである。
まあ日本の政治家にも政治ジャーナリストにもろくなのがいないのは30年生きてきてよくわかっているのだが、それにしたって「選挙が盛り上がらない」と言っている日本の報道機関や自称ジャーナリスト達は、互いのゴシップを暴き立てたり口汚い言い争いを見せるばかりで、自民党と民主党と公明党と社民党と共産党の対立軸をちっとも明確にしないじゃないか。
対立軸?
そう、つまり日本の政治に致命的に欠けていて、アメリカの政治に存在しているのは、この「対立軸」である。本書では、共和党・民主党の成り立ちだけにとどまらず、歴史的背景や文化的背景・人種問題・南北問題・倫理問題など、あらゆるところに踏み込んで、共和党と民主党の「対立軸」を解説してくれている。本書を読めば、政治オンチな日本人にも、「2008年のオバマとマケインの対立軸」と「この選挙が日本に及ぼす影響」というものが、かなりクリアに理解できるようになる。示唆に富んだ、実に良い本だ。
いくら個々人が頑張って自民党と民主党の違いを見極めようとしても、そこには限界がある。日本の報道機関と自称ジャーナリスト達は全員が本書を熟読し、クソな政党とクソな政治家の存在を認めた上で、これからの日本の政治報道の在り方を考えるべきである。まずはそこからだ。それまでは、俺の政治的スタンスは、以前も引用した村上春樹+安西水丸『村上朝日堂の逆襲』の一節に集約されることとなるだろう。

 どうして選挙の投票をしないのかという彼ら(僕を含めて)の理由はだいたい同じである。まず第一に選択肢の質があまりにも不毛なこと、第二に現在おこなわれている選挙の内容そのものがかなりうさん臭く、信頼感を抱けないことである。とくに我々の世代には例の「ストリート・ファイティング」の経験を持つ人が多いし、終始「選挙なんて欺瞞だ」とアジられてきたわけだから、年をとって落ちついてもなかなかすんなりとは投票所に行けない。政党の縦割りとは無関係に一本どっこでやってきたんだという思いもある。何をやったんだと言われると、何をやったのかほとんど覚えてないですけれど。
 もっとも選挙制度そのものを根本的に否定しているわけではないから、何か明確な争点があって、現在の政党縦割りの図式がなければ、我々は投票に行くことになるだろうと思う。しかしこれまでのところ一度としてそういうケースはなかった。よく棄権が多いのは民主主義の衰退だと言う人がいるけれど、僕に言わせればそういうケースを提供することができなかった社会のシステムそのものの中に民主主義衰退の原因がある。たてまえ論で棄権者のみに責任を押しつけるのは筋違いというものだろう。マイナス4とマイナス3のどちらかを選ぶために投票所まで行けっていわれたって、行かないよ、そんなの。

全共闘世代である村上春樹と俺では状況は異なるし、本書の書かれた年代と今では数十年の開きがあるけれど、本質的な問題は全く変わらないなあ。俺は投票に行くときも(20歳になりたての一時期を除き)ほぼ白紙投票である。俺は、この白紙投票という行動がもっと浸透して「今回の投票率は90%ですが、白紙投票がその3分の2を占めます」という現象が起こることを夢想している。政治に対する「否!」がここまで視覚化すれば、さすがに今の政治家や報道機関も猛省するのではないか――というのが俺の淡い期待なのだが、まあ奴らが自省するなんてことは絶対無いだろうな、残念ながら。
なお著者は、本書の他にも『「関係の空気」「場の空気」』や『911 セプテンバーイレブンス』という超必読本を書いている。冷泉彰彦という人は本当に良い本を書く。この人の文章を読みたければ、村上龍の主催している「JMM」に登録すれば、毎週「from 911/USAレポート」という連載を読むことができる(JMMのウェブサイトからもバックナンバーを閲覧可能)。これは『911 セプテンバーイレブンス』の基になった連載で、本当に面白い。
最後に、著者のライフワークとも関連して、今まで読んできたアメリカ同時多発テロに関するエントリーも併せて紹介しておく。アメリカ大統領選挙という観点で読み直しても面白いし、純粋にテロに関する本としても極めて示唆的で、どれもこれも超必読本である。
「関係の空気」 「場の空気」 (講談社現代新書)  911 セプテンバーイレブンス (小学館文庫)  新しい戦争?―9.11テロ事件と思想 (ポリロゴス・ブックレット (1))  発言―米同時多発テロと23人の思想家たち  テロと家族 (角川oneテーマ21)

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