- 作者: ソル・フアナ,旦敬介
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2007/10/11
- メディア: 文庫
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詩については「こうした定型詩を翻訳で読んでもね」という感じは正直どうしても拭えない。というか定型詩に限らず、詩を翻訳で読むことの意義がどれほどあるのだろう。韻や言葉のリズムは、どうしても異なってしまう。これは「俳句や短歌を英訳する意味がどれだけあるのか?」という日本人の素直な感覚と同じではないだろうか。意義が全然ないとは決して言わないが、さりとて「古池や蛙飛びこむ水の音」の素晴らしさは日本語で自分で詠んで味わい、耳で感じなければ本当の良さはわからないような気もする――ということと同じである。俺は別に文学にも定型詩にも俳句にも松尾芭蕉にも明るいわけではないけれども、しかし確実に言えるのは、この「水の音」という体言止めのあとに訪れる圧倒的なまでの静寂は、やはり日本語ならではの到達点なのではないだろうか?
一方、手紙(散文)の方は実に興味深い。世俗的な活動(詩作)を行うソル・フアナを批判する神父や修道女(実は修道女ではなくソル・フアナのメンター的な役割を果たしていた司教だったとされる)に対して、腰は低く言葉遣いも丁寧ながら、変幻自在の言葉遣いで徹底して抗弁を試みている。それはもう、あとからあとから、よくそこまで丁寧な言葉遣いでそこまで色々な抗弁ができるなという感じである。これをフェミニズムの萌芽や女性蔑視的な規範や道徳への抵抗と見ることももちろん可能だし、彼女の知や自由への渇望と読むこともできる。もちろん純粋に「作品」としても十分に面白い。そして本書の詳細な解説と合わせて、17世紀末の社会を垣間見ることも可能だろう。なかなか興味深い本である。光文社古典新訳文庫、実にチャレンジングで素晴らしい存在である。日本人の誰もが知っている名作だけでなく、こうした隠れた世界的名作をも世に問う光文社古典新訳文庫の試みは、もっともっと評価されて良い。
それにしても、翻訳モノ――特に古典の翻訳モノに解説は不可欠だね。本書も同様で、訳者の解説がなければ、ここまで本書を楽しむことはできない。この人の解説は実にわかりやすく、現代日本との共通点や差異も垣間見え、またこの人の素直な心情も吐露されている。個人的には良い解説だと思う。