筒井康隆『残像に口紅を』

残像に口紅を (中公文庫)

残像に口紅を (中公文庫)

これまでに何度も読み返してきたのだが、まだアップしていなかったらしい。物語が進むにつれて物語中の世界から「文字」が失われていく――という極めて実験的な作品。例えば「お」が世界から失われたら、「おはよう」という言葉も失われ、「やあ」とか「よう」とか「久しぶり」とか「早くから大変だね」といった朝の挨拶になっていくわけである。そして物語が進展するにつれて失われる言葉も増え、より制限された文字で世界が綴られていく。しかし、読んでいる限り、そうした不自由さを意外にもほとんど感じさせない。筒井康隆の技巧の高さには本当に舌を巻く以外ない。
それにしても、よく考えれば(よく考えるまでもなく)、世界から言葉が失われていくということは、想像を絶する孤独である。これが凡百の小説家であれば「面白い着想の実験小説」という評価しか得られなかったであろうが、読み進めていくうちに、何と言うか、胸を引き裂く独特の切なさを俺は感じてしまった。何と言うか、逆説的なのだが、言葉が失われても物語が破綻なく続いてしまうことがたまらなく切なかったのだ。筒井康隆の超絶技巧ゆえの到達点だと言えるだろう。