『学校』『学校II』『学校III』『十五才 学校IV』

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『学校』

学校の課外授業だったかPTA主催だったか子供会の企画だったか記憶が曖昧なのだが、体育館や視聴覚室で何度か観させられた作品。でも、その時の印象はほとんど記憶にない。どんな良作でも、学校に強制的に観せられて心が震えることは少ないと思う。それ以来、本作のことはすっかり忘れていたけれど、何かの拍子に本作の存在をふと思い出し、無性に見たくなってしまったのである。で、観てみた……ポロポロ涙がこぼれた。これは泣くしかないだろう!

舞台は夜間中学校。そんなものがあることすら俺は知らなかったが、実在する施設のようである。学びたいという気持ちのある方に対して、教えたいという熱意を持った先生が、基礎的な教育を提供している。生徒は多岐に渡る。生きるのに精一杯でこれまで文字を読むことすらできなかった老人、外国人労働者、不良少年、不登校児――いずれにせよ、確実に言えることがある。これは教育の純粋型であり、理想型である。皮肉なほどに。

俺は子供のころ一体どんな気持ちで観ていたのだろうか。どんな気持ちで観るべきだったのかな。いずれにせよ過ぎ去ってしまったことであり、当時のことは何も言いようがない。でも今は、とにかくあたたかい気持ちで観た。自分の人生を懸命に生きることに対して、強い後押しをしてもらった気分である。

『学校II』

『学校』がとにかく面白かったので、借りてきた。

同じ学校でも、今度は養護学校である。これまた難しいテーマを選んできた。

障害の程度は軽いが、世間の差別に深く傷つき、完全に心を閉ざしてしまった「高志」と、見るからに重い障害を抱え、学校への入学すら母親が諦めていた「佑矢」の二人が物語の中心である。で、二人とも一筋縄では行かない。よくある連続ドラマのような「障害はあるけれど心は綺麗」だの「本気でぶつかれば生徒は分かってくれる」だのといったステロタイプな綺麗事は、ここでは通用しない。高志は親とだって一言も言葉を発しないほど世間の差別に深く傷つき、佑矢はコミュニケーションが取れないどころか、何かにいつも怒って先生やクラスメイトを物凄い力で殴り、トイレで用を足すことすら満足にできない。

先生たちは、日々生徒のことを考え、努力し、本気で接している。しかしそれでも、どうすれば高志が話をしてくれるのか全然わからないし、佑矢が何に怒っているのかもわからない。そして二人の生徒は、先生たちをわかる気が全然ないのである。よくある連続ドラマだと、ここで簡単に「わかり合えてしまう」んだけどね……。

でも、ふとしたきっかけで、事態が好転する。いつものように暴れ回っていた佑矢に、高志が声を掛けるのである。友達として、あるいは兄貴分として。高志が声を出すのも初めてならば、佑矢が誰かの言うことを素直に聞くことも初めてである。そして佑矢が静かに授業を受けるのも初めてであった。これは先生たちの努力が実を結んだというよりは、人と人との相互作用がもたらしたものである。しかし、その相互作用は学校という「場」があってこそ、もたらされた。そして先生たちは、この絶好の奇跡を注意深く享受し、二人を「より善き方向」に導こうとするのである。

いや、「より善き方向」という表現が適切かどうかも、実に難しい問題だな。果たして学校が「善き方向」というものを提示できるのかどうか……考えさせられる物語である。

もちろん先生たちは、そうした導き手として必ずしも上手く機能するわけではない。本作でも、卒業式まで「とうとう1回も言葉を発してくれなかった」生徒が登場する。この生徒は、卒業式で歌う最後の歌でも、一度も歌っていなかった。先生や学校がどれほど頑張っても、このまま卒業してしまう生徒もいるんだろうな。

『学校III』

『学校』『学校II』と続いてきた作品だが、今度は職業訓練校である。今でも全くリアリティが減じていないというのは、中高年をめぐる就職の状況が全く変わっていないということだろう。

『十五才 学校IV』

『学校』『学校II』『学校III』は、学校が舞台だが、本作は「学校に行けなくなった主人公」が屋久島を目指してヒッチハイクを行うロードムービーである。学校のIからIIIまでは、いわゆる普通の人が思い描く小中高校ではなく、普通の公立高校の生徒を主人公とした本作では、そもそも学校がほとんど出てこないロードムービーである。

それにしても……学校シリーズをIからIVまで観てきた素直な感想だが、山田洋次は、いわゆる普通の子供たちが通う小中高校といった学校空間に、既に「諦め」を抱いているような気がする。そうでなければ、こんな珍妙な舞台の設定はしないだろう。本作でも、中学校はほとんどラストシーンでしか出てこない。そしてラストシーンに出てくる中学校の教室は、主人公にとって、さながら生き抜くべき「戦場」として描かれているのである。