エリック・ワイナー『世界しあわせ紀行』

世界しあわせ紀行

世界しあわせ紀行

ジャーナリスト(ニューヨークタイムズの記者&全米公共ラジオの特派員)として散々訪れた「不幸な国」に嫌気がさした著者は、「幸せな国」を探して訪問し、幸せとは何か、幸せはどこにあるのかを考える……というアウトラインの紀行文。
まずコンセプトが非常に面白い。
加えて、実際に訪れた10ヶ国のセレクションがまた非常に面白い。
まず著者は最初に「オランダ」を訪れる。これはオランダの幸福度が高いのに加えて、著者が参考にした世界幸福データベース(World Database of Happiness)の研究ディレクターであるエラスムス大学のルート・フェーンホーヴェン名誉教授を訪ねるためである。いわばフェーンホーヴェンは幸福についてのデータを牛耳っているとも言え、最初にオランダを訪れるセンスには拍手を送りたい。
続いて著者はスイスを訪問する。多くの日本人におけるスイスの印象は「永世中立国」という事実であろう。というかそれしか知らない方もいるかもしれないが、俺はそれに加えて、山間の国であるスイスの街は綺麗で、人々も勤勉で慎み深いという印象を持っていた。著者によると俺のイメージは全く間違っていないようだが、あまりに整然としていてむしろ退屈すぎるほど地味な国のようだ。実際、スイス人は自国が幸福な国だと聞くと驚きの声を上げる。しかし事実としてスイス人の幸福度は高い。著者は結局、スイスは「幸福」というよりも「満足」に近い、独特の満ち足りた状態を維持しているのではないかと結論づける。そしてそれを表す言葉として、満足(contentment)以上・楽しみ(joy)未満の状態である「コンジョイメント」という新しい言葉を考えつくのである。これなら楽しいという同時に冷静でもあるような、地に足のついた控え目な喜びの状態を表現できる。

私たちが「コンジョイメント」を経験するのは、日常生活のちょっとした瞬間だ。たとえば掃除機をかけているときや、ゴミ出しをしているとき。あるいは何年かぶりにボブ・ディランの古い曲をCDで聴いているとき。まさにそんなときに「コンジョイメント」を経験する。スイス人は幸せではないかもしれない。しかし彼らは「コンジョイ」する方法を知っている。

3ヶ国目として著者はブータンを訪れる。ブータンは世界幸福データベースのデータには無いが、GNP(国民総生産)やGDP国内総生産)ではなく「国民総幸福量」を国策の要に据えている国である。幸福をテーマにした紀行文でブータンを訪れない訳には行かないだろう。ブータンは十数年前までテレビすら無かったが、それでも幸せだった。物質や金では得られない幸せを、国を挙げて追求している国である。
4ヶ国目はカタールだ。石油を初めとした資源の豊かな国で、カタール国民には税金も無い。幸せはお金ではないか……というブータンと対極の幸福像を著者は探りに行く。身も蓋もないし、幸せがお金だという考えには個人的に賛同しかねるが(なぜなら金銭は必要条件であって十分条件ではないと思われるから)、やはり幸せを考えるにあたってお金の問題を無視するのはかえって白々しい。ブータンの後にカタールを訪れる著者のセンスは素晴らしいと思う。
5ヶ国目はアイスランドである。アイスランドは人口30万人程度の小さな国であるが、金融経済が発達し、多くの国民が詩歌の創作を初めとした文化に触れる生活をしている。そして何よりも、この国は何度でも失敗が許される国である。個人的には、アイスランドの幸福像に最も惹かれたことを告白しなければなるまい。なおアイスランドは金融経済に依存し過ぎた小国であるため、本書執筆後、リーマンショックにより国が債務不履行に陥るほどの大打撃を受けている。しかしWikipediaによると、2012年現在、アイスランド経済は既に復活の兆候を見せており、2.7%の経済成長を達成する見込みのようだ。さすが「何度でも失敗が許される国」である。
6ヶ国目はモルドバモルドバは幸福度が高いどころか、かなり低い部類に入る国だ。幸福な国を訪れているうちに気分が滅入ってきた著者は、逆に、より不幸な国を訪れることで自身の心を癒そうとするのである。モルドバに失礼だろ……と思うが、確かにモルドバは不幸に満ちた国と言って良い。モルドバを訪問することが、本書の構成において良いスパイスになっている。
7ヶ国目はタイ。タイでは、物事を深刻に考えることが良くないとされている。正直に言って、これはかなり「核心」に近いところを突いていると俺は思う。小難しいことを考えながら生きている人は概して世の中の理不尽や周囲の無能さに対する寛容の心が乏しく、眉間には深い皺が刻まれる。真実の追求は幸福を意味しない。曖昧なことや納得し難いこと、思い通りに行かないことがあっても、タイの人々は静かにほほえみ、そして受け入れる。これこそタイが「ほほえみの国」と言われる所以でもあるだろう。
さて、これまで7ヶ国を訪れて、幸福度の「変化」という要素を見落としていたことに気づいた著者は、8ヶ国目としてイギリスのスラウという町を訪れる。ここは幸福度の著しく低い町だが、BBCが「スラウに住む人々の幸福度を上げる」という大掛かりな実験を行っているそうだ。この実験が(テレビ放送の数年後でも)効果を発揮しているのかどうか、著者は調査を行うのである。
9ヶ国目はインド。著者はインドでアシュラム(精神的な修行を行う場所)を訪れ、著名なグルが主催するセミナーを受講して、幸せとは何かをさらに貪欲に追求する。
そして最後の10ヶ国目は、著者の自国でもあるアメリカだ。アメリカの中で安住の地を求めてマイアミからノースカロライナのアシュビルという町に居を移した人に着目しながら、幸せとは何かを考える。
約450ページの大著だが、実に面白い本だ。