『独裁者のためのハンドブック』

独裁者のためのハンドブック

独裁者のためのハンドブック

健全なる精神 (双葉文庫) 村上朝日堂の逆襲 (新潮文庫)
気鋭の政治学者が、古今東西の独裁者を取り上げながらカネとヒトを支配する権力構造を解明しようとしている本。まず「日本語版へのはしがき」に書かれている、本書の基底に流れる原則が、シンプルながら実に力強い。

 指導者がどのような行動をとるかは、結局のところ、その指導者が権力を維持するためにどれくらいの数の支持者を必要とし、そのようなかけがえのない支持者がどれくらいの人々(著者の言うところの権力支持基盤)から選り抜かれたのかということに尽きる。政府の権力支持基盤の大きさに応じて、課税や歳出、すなわち指導者が展開するのが腐り切った政策か、それとも国民全体の福祉の向上を目指す政策かが決定づけられ、自由や権利がどの程度制約されるのかが決まる。このことは、政府の指導者であれ、企業の経営者であれ、あるゆる組織のリーダーに当てはまる。

次に、この著者は日本についてかなりしっかりとした知識を有している。「日本語版へのはしがき」では、自民党やトヨタについて言及しながら、権力支持基盤について日本人がイメージしやすいような補助線を引いてくれている。著者はややラディカルに、(著者が考える)自民党の本質をえぐり出し、またトヨタのような社外取締役がいないことでの(逆説的な)不正防止機能を論じてみせる。訳者も「訳者まえがき」を書いてくれているので、こうしたインプットに基づき本書を読むと、より理解が深まるだろう。

余談

「独裁と民主主義に境界はない!」という帯のキャッチコピーを見て、かつて衝撃を受けた呉智英『健全なる精神』と村上春樹+安西水丸『村上朝日堂の逆襲』を思い出してしまった。またぞろ引用するが、このあたりの文章は、何度読んでも目からウロコがバサバサと落ちる。至言だね。

 民主主義は少数者の立場を尊重する思想である、という人がいる。いや、新聞でも書物でもしばしばそのように説かれる。
 だが、そんなバカなことがあろうか。民主主義は多数者の立場を少数者に押しつける思想に決まっているではないか。フランス革命は、王侯貴族など少数者を打倒した多数者民衆の運動であった。少数者の立場を尊重したら、反民主主義的な王制はそのまま続いていた。アメリカ独立革命も、多数者の立場を少数者に押しつけるものであったからこそ、その後の少数者黒人を奴隷にする制度が保障されたのである。

 どうして選挙の投票をしないのかという彼ら(僕を含めて)の理由はだいたい同じである。まず第一に選択肢の質があまりにも不毛なこと、第二に現在おこなわれている選挙の内容そのものがかなりうさん臭く、信頼感を抱けないことである。とくに我々の世代には例の「ストリート・ファイティング」の経験を持つ人が多いし、終始「選挙なんて欺瞞だ」とアジられてきたわけだから、年をとって落ちついてもなかなかすんなりとは投票所に行けない。政党の縦割りとは無関係に一本どっこでやってきたんだという思いもある。何をやったんだと言われると、何をやったのかほとんど覚えてないですけれど。
 もっとも選挙制度そのものを根本的に否定しているわけではないから、何か明確な争点があって、現在の政党縦割りの図式がなければ、我々は投票に行くことになるだろうと思う。しかしこれまでのところ一度としてそういうケースはなかった。よく棄権が多いのは民主主義の衰退だと言う人がいるけれど、僕に言わせればそういうケースを提供することができなかった社会のシステムそのものの中に民主主義衰退の原因がある。たてまえ論で棄権者のみに責任を押しつけるのは筋違いというものだろう。マイナス4とマイナス3のどちらかを選ぶために投票所まで行けっていわれたって、行かないよ、そんなの。