坂井豊貴『多数決を疑う 社会的選択理論とは何か』

多数決というのは民主主義の代表的な意思決定手法であるが、これを民意を適切に反映できる、公正で唯一絶対の意思決定手法・制度であると信じるのは、あまりにもイノセントに過ぎると私は考える。

まず第一に、民主主義は少数者の立場を尊重するわけではないということ。多数決という発想そのものが、実に傲慢に多数者の立場を少数者に押し付ける制度なのだという冷厳たる事実がある。

 民主主義は少数者の立場を尊重する思想である、という人がいる。いや、新聞でも書物でもしばしばそのように説かれる。
 だが、そんなバカなことがあろうか。民主主義は多数者の立場を少数者に押しつける思想に決まっているではないか。フランス革命は、王侯貴族など少数者を打倒した多数者民衆の運動であった。少数者の立場を尊重したら、反民主主義的な王制はそのまま続いていた。アメリカ独立革命も、多数者の立場を少数者に押しつけるものであったからこそ、その後の少数者黒人を奴隷にする制度が保障されたのである。

第二に、民主主義における多数決が多数者の立場を少数者に押し付ける制度だとして、そもそも多数者の立場が有権者にとって妥当な判断であるかは別であること。「衆愚」という言葉があるが、今の日本にこの言葉は実に重くのしかかっている。

第三に、多数決という手法そのものが、必ずしも民意を適切に反映する仕組みであるとは限らないこと。例えば、候補者のうち(A、B、C)一人に投票し、一人が当選するという選挙の場合、AとBとCの候補者のバランスにより様々なストーリーが生まれ得る。仮にAとBが左寄りでCが右寄りなら、左寄りの票は「割れる」。結果、左寄りの政策を実現してほしいという有権者が多くとも、AとBが票を食い合うことで右寄りのCが漁夫の利を得る可能性は高まる。また、仮に投票者のAにアンチが多いとして、Aを当選させたくないばかりに、本来Bの支援者がCに投票して票を集中させるというシナリオも考えられるが、これとてCは別に民意を反映した結果として票を得たわけではない。

本書のテーマは、この三点目である。この種の問題に対して、社会的選択理論という学問領域では、できるだけ公正で民意を反映できる投票とは何かについて研究を重ねているようだ。詳細は本書に譲るが、一位だけでなく二位以降にも順位をつけるなど、色々な代替案が検討されている。