村上春樹『職業としての小説家』

職業としての小説家 (Switch library)

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本書について

本書は小説家としてデビューして35年になった村上春樹の「自伝的エッセイ」と言うことになる。以下の12の章立てに沿って、聴衆に語りかけるような口調で書き下ろされている。1章から6章は柴田元幸が立ち上げた『MONKEY』という雑誌に掲載され、12章は『考える人』という雑誌に掲載された。他は書き下ろしとのこと。

  1. 小説家は寛容な人種なのか
  2. 小説家になった頃
  3. 文学賞について
  4. オリジナリティーについて
  5. さて、何を書けばいいのか?
  6. 時間を味方につける——長編小説を書くこと
  7. どこまでも個人的でフィジカルな営み
  8. 学校について
  9. どんな人物を登場させようか?
  10. 誰のために書くのか?
  11. 海外へ出て行く。新しいフロンティア
  12. 物語のあるところ・河合隼雄先生の思い出

このブログを検索していただければおわかりいただけるのだが、私は私の知りうる限り、(翻訳作品を除く)村上春樹の全ての著作を読んできた。エッセイや紀行文は言うまでもなく、キャリア初期のマイナーな共著で今では絶版になった『映画をめぐる冒険』や『ウォーク・ドント・ラン』も含めてである。そうした初期作品からのファンにとっては、「一冊の本にまとまっていることのメリット」や「改めて詳しく説明されたことでのわかりやすさ」はあるけれども、初めて見聞きする事柄は正直に言ってそれほど多くはない。しかし、こうやって一冊にまとまると、私が覚えていないのか、あるいは本当に初めて文章として語られたのか、私が初めて見聞きした村上春樹の考え方や経験も一定程度は存在する。

第四回 オリジナリティーについて

そうしたものの中で特に私が気に入ったのは「オリジナリティーについて」の一節である。以下、少し引用したい。なお箇条書き部分ははてなブログの機能上「1.2.3.」と書かざるを得なかったが、実際は引用文中にあるように「(1)(2)(3)」と記載されている。

 僕の考えによれば、ということですが、特定の表現者を「オリジナルである」と呼ぶためには、基本的に次のような条件が満たされていなくてはなりません。

  1. ほかの表現者とは明らかに異なる、独自のスタイル(サウンドなり文体なりフォルムなり色彩なり)を有している。ちょっと見れば(聴けば)その人の表現だと(おおむね)瞬時に理解できなくてはならない。
  2. そのスタイルを、自らの力でヴァージョン・アップできなくてはならない。時間の経過とともにそのスタイルは成長していく。いつまでも同じ場所に留まっていることはできない。そういう自発的・内在的な自己革新力を有している。
  3. その独自のスタイルは時間の経過とともにスタンダード化し、人々のサイキに吸収され、価値判断基準の一部として取り込まれていかなくてはならない。あるいは後世の表現者の豊かな引用源とならなくてはならない。


 もちろんすべての項目をしっかり満たさなくてはならない、ということではありません。(1)と(3)は十分クリアしているけれど(2)はちょっと弱い、というケースもあるでしょうし、(2)と(3)は十分クリアしているけれど(1)はちょっと弱い、というものもあるでしょう。しかし「多かれ少なかれ」という範囲でこの三項目を満たすことが、「オリジナルである」ことの基本的な条件になるかもしれません。
 こうしてまとめてみるとわかるように、(1)はともかく、(2)と(3)に関してはある程度の「時間の経過」が重要な要素になります。要するに一人の表現者なり、その作品なりがオリジナルであるかどうかは、「時間の検証を受けなくては正確には判断できない」ということになりそうです。あるとき独自のスタイルを持った表現者がぽっと出てきて、世間の耳目を強く引いたとしても、もし彼なり彼女なりがあっという間にどこかに消えてしまったとしたら、彼なり彼女なりが「オリジナルであった」と断定することはかなり難しくなります。多くの場合ただの「一発屋」で終わってしまいます。

村上春樹は(2)と(3)に通底する「時間の経過」という要素を自身の「オリジナリティー論」のポイントとして捉えているようだが、私の感覚では、村上春樹の「オリジナリティー論」の独自性は(2)そのものにあるような気がする。要するに、(1)は他と違うキラリと光る特徴があるということで、(3)はフォロワーを生み出す、言及される、という特徴ということであり、(1)と(3)は「オリジナル」云々について似たような主張や定義を様々なところで見聞きしたことがある。一方、オリジナルと呼ばれるものは自己革新力を備えていて実は不断に「変遷」や「ヴァージョン・アップ」を続けているのだという(2)のような視点はあまり聞いたことがないが、改めて「オリジナル」であるとされているものを振り返ってみると、実は村上春樹の指摘の通り、結構な割合で変遷やヴァージョン・アップを続けているものが多い。

村上春樹は本書の中で、ボブ・ディランがアコースティック楽器だけでなく電気楽器を使い始めたことを例に挙げたが、ここで私はよりわかりやすいものとして、そこそこ以上の野球ファンが見れば誰が見ても「イチロー」だとわかるイチローのバッティングフォームを例に挙げてみたい。あれは実にイチロー的で、オリックス時代の「振り子打法」は少ないながらもフォロワーを生み出したし、「振り子打法」を肯定的に捉えるか否かに関わらず、彼のバッティングフォームを取り上げて評論家は「理想のバッティングフォーム」を論評することが多くあった。その意味で(1)と(3)は当然のように満たしている。しかしそこそこ以上の野球ファンには周知のように、実はイチローのバッティングフォーム自体が毎年のように大きくモデルチェンジしている点で、(2)も満たしているのである。私のような素人でも非常にわかりやすいのがオリックス時代とメジャー時代で、彼はメジャー挑戦から数年で、厳密な意味での「振り子打法」は止めている。しかしメディアから「走りながら打つ」と形容されている、重心や軸を前に移しながら打つという彼独特のバッティング理論自体は健在で、1995年のブレイク以降、どの自体のイチローのバッティグフォームを見ても「イチロー」だとわかるし、イチロー的であると言えよう。このことは、トルネード投法を生み出した野茂にも言えるし、上原のピッチングフォームにも言えると思う。

第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア

もうひとつ、個人的には第十一回の話も面白かった。もう少し正確に書くと、村上春樹は、バブルの浮ついた空気、それと相まって自分を取り巻く経済的な環境が恵まれ過ぎて自分がスポイルされるのではないかと不安になってきたこと、一方で文壇を中心とした彼への過剰なバッシング等に嫌気がさして、90年代前半をアメリカで暮らすことになる。この間、彼はプリンストン大学とタフツ大学でアメリカの学生に日本文学を教えるという経験をしており、ここまでは既存のエッセイや紀行文で既に詳しく語られてきたことである。

一方、既存のエッセイや紀行文で詳しく語られてこなかった話もあり、それが自分の小説をアメリカで(あるいは世界で)どうやって認めさせてきたかというエピソードである。村上春樹の小説は、単に彼の小説が優れていたという理由だけで勝手に世界中で売れたわけではない。ニューヨーカーという権威ある雑誌に少しずつ載せてもらって地盤を作り、「つて」を頼って信頼できるアメリカの出版社、敏腕編集者、エージェントを探し出して面接して契約し、自分の小説をしっかりと英語に移し替えてくれる翻訳家を何人も確保する。アメリカで生活した90年代前半の間に、もう一度「新人作家」として、そうした地道な活動をしてきたことが、今の世界的な流行の礎になっているのだ。

そもそも日本の小説が世界で読まれないのは、小説としての完成度や魅力ではない。単に小説家と出版社の双方に、世界に打って出ようというフロンティア・スピリットが欠落しているからである。日本の小説を世界中で広めたいという奇特な翻訳家や出版社が現れるのを待っているだけでは、今のように、いつまでも村上春樹と吉本ばななより下の世代が広く受け入れられることはないだろう。

しかし、こういうチャレンジを目の当たりにすると、「英語が苦手だから」とグローバルビジネスから逃げている私の姿勢について、深く反省させられるものがある。英語ができないからグローバルビジネスから逃げているのか、グローバルビジネスから逃げているからいつまでも英語ができないのか……。

その他

「第四回 オリジナリティーについて」と「第十一回 海外へ出て行く。新しいフロンティア」の感想を中心に書いたが、村上春樹のエッセイや紀行文を隅々まで読んでいる方以外は、その他の章も非常に興味深いと思う。例えば、村上春樹が小説家になろうと思い立ったエピソード(神宮球場のアレです)なんかは、私は何度読んでもけっこう好きだ。偶然と言うとあまりにも他人事すぎる気がするけれど、様々な巡り合わせが重なり、こうすべきだというタイミングが、ふっと「啓示」のような形で降りてくることが人生にはあるのかもしれない。その啓示を掴み取るか否かは、本人次第なのだけれど……。

余談

以下は2007年に書いた村上春樹についての私の文章である。

それにしても最近の村上春樹の仕事は、人生の集大成というか仕上げというか、何だか「まとめ」に入ったみたいに思え、複雑な気持ちである。何しろ、この何年かで『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を訳して、『グレート・ギャツビー』を訳して、『ロング・グッドバイ』を訳して、村上春樹翻訳ライブラリーを出し始めて過去の翻訳に手を入れ、これまた村上春樹と切っても切り離せない音楽の評論集『意味がなければスイングはない』を出した。翻訳家としての自分のスタンスを記した『翻訳夜話』と『翻訳夜話2』も出した。走ることについては本書を出した。フランツ・カフカ賞も受賞している。まあ体を鍛えまくっているから数年で死ぬようなことはないと思うが、このまま『夜はやさし』と『カラマーゾフの兄弟』を訳したら、気持ちの上で「上がり」になるんじゃないかと少し心配になってしまう。

さて、この後はどうなったか?

村上春樹は私の知る限り、上記の後、小澤征爾と音楽についての対談集『小澤征爾さんと、音楽について話をする』を出した。また村上春樹は日本人作家として(日本では積極的ではないが)海外では積極的にインタビューやサイン会にも答えており、インタビュー集を出した。過去最大規模で読者との交流を行い、そのやりとりを出した。そしてストレートに小説家としての自分について記した本書を出した。

長編小説を頻繁に出版するタイプではないものの、翻訳を含めた仕事自体は極めて熱心に続けており、気持ちの上で「上がり」になっていることはないように思う。しかしながら、村上春樹という小説家を構成するものをひとつひとつ「まとめ」ているような感覚は、やはり確かにある。村上春樹は毎日走ったり泳いだりして、しっかりと体のメンテナンスをやっているタイプである。しかしもう66歳。あとどのぐらい長編小説を書けるかどうかは、けっこう微妙なところがある。自身の小説家としてのキャリアをまとめておきたいうという気持ちがあってもおかしくはない。個人的には、80歳や90歳になってもガッツリ小説を書き続けてほしいんだけどね。