清武英利『しんがり 山一證券最後の12人』

しんがり 山一證券最後の12人 (講談社+α文庫)

しんがり 山一證券最後の12人 (講談社+α文庫)

たまたま本屋で平積みされていて、帯に、WOWOWで連続ドラマ化と書かれていたのが何となく気になり、買ってみた。本作は実名で記載されたノンフィクションで、講談社ノンフィクション賞を受賞しているそうだ。

本書の舞台は、1997年11月に(会社更生法の適用や営業権譲渡ではなく)自主廃業を行った山一證券である。更生法の適用による自主再建の道が断たれ、自主廃業をせざるを得なくなった最大の理由が、約2600億円の簿外債務の存在である。気の遠くなるような金額の不正を続けてきた信頼性ゼロの企業を国が助ける訳にはいかんということである。多くの社員や役員が早々に退社を決めて行く中、社内から「場末」と呼ばれて煙たがられたギョウカン(業務監理本部)の社員や役員は、最後まで会社に踏みとどまって顧客への清算業務(24兆円の預かり資産を顧客に確実に返還する後ろ向きの業務)を続ける。またそれだけでなく、自分たちの愛した会社がなぜこんなことになったのか、自主再建の道を断った2600億円もの簿外債務がいつ、どのように生まれ、どのように隠し続けられたのかを、(強制捜査権がない中)100人以上もの人間にヒアリングを重ね、真相を究明しようとする……ほとんどドラマや小説の世界にも思えるが、これがノンフィクションだというから恐れ入る。

この手の、会社への強烈な帰属意識を持った人を目の当たりにした時に思うのだが、私には愛社精神がない。会社への帰属意識もあまりない。しかし私がドライかと問われると、ちょっと違うかなと思う。私はむしろウェットな部類に入るだろう。私の帰属意識は、まず第一にクライアントにあり、第二に、私と一緒に働きたいと言ってくれて私をチームに引き入れてくれる少数の尊敬できる上司やチームメンバーにある。いや、逆かな。どうだろう。しかしいずれにせよ、私は、クライアントを変革したいという思いに加え、私のカウンターパートと、私の上司を、私の力で出世させたいという思いを胸に働いている。

だから本書の登場人物のスタンスは、私のそれとは違う。しかし読み進めるうちに胸が熱くなり、羨ましいとすら思うようになった。なぜか。結局のところ、私は、金のために働きたくないし、金のために働いているとも思いたくないのである。本書の登場人物は、使命感を持って「しんがり」を務めた。このために自分は山一證券にいたのだと思ったと言う人もいた。彼らはこの後ろ向きの仕事を、幸せだとも面白いとも思いはしなかっただろう。しかし充実していたはずだ。使命感と充実感……この2つがあれば、人は辛い仕事を乗り越えて行ける。こう書くと「ブラック思想」と言われるかもしれないが。

余談

著者は「清武の乱」で有名な読売巨人軍の元・球団代表である。最近は特定の役職に就かず、ひとりのジャーナリストとして活動しているようだ。巻末の著者紹介を目にするまで全く気づかなかったが、良い仕事をしていると思う。