古我知史『ベンチャーキャピタリストが語る 着眼の技法』

ベンチャーキャピタリストが語る 着眼の技法 (DISCOVER21世紀の学校)

ベンチャーキャピタリストが語る 着眼の技法 (DISCOVER21世紀の学校)

  • 作者: 古我知史
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2015/11/19
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る
『着眼の技法』という書名だが、「技法」と呼べるような体系的なアプローチでは全然ない。良くも悪くも、放言である。放言という言葉がネガティブに捉えられるなら、発散的・拡散的な試論の集まりと言って良い。内容的には面白いと思ったが、取り留めのない感じで、「技法」という言葉から持っていた個人的な期待からはちょっと外れていたかな。

というか、本の内容云々よりも、言葉選びや例示の香ばしさの方が私は気になった。急にヘーゲルとかアウフヘーベンとか言い出して知性を誇ったり、宇宙人がどうとか言ったりしている程度では大した問題もあるまい。しかしエピローグにおいて、女は言葉を操るのがうまいが男は下手だ、その理由は「だ」「である」調と「ですます」調の違いで、その証拠にゲイは(生物学的には男だが)言葉を操るのが上手い……という一連の主張?には閉口した。これ、男と女を入れ替えて、「男は言葉を操るのが上手いが女は下手だ、その理由は〜、その証拠にゲイは言葉を操るのが下手だ」と発言したら、フェミニストたちから一体どれだけ糾弾されるだろう?

極言すれば、男尊女卑は糾弾されるのに女尊男卑は進歩的知識人の嗜みとみなされることすらある日本社会そのものが未熟で二重・三重に歪んでいるということに尽きるのだが、この人が政治家になったら絶対に舌禍事件を起こすだろうから、ぜひとも今のベンチャーキャピタリストや大学教授としての立場を全うしてもらいたい。