野崎まど『ファンタジスタドール イヴ』

ファンタジスタドール イヴ

ファンタジスタドール イヴ

一言で書けば、本作は「人間が人間を創るまでの物語」ということになるだろうか。そんなものそこらの男と女が年中セックスして人間を創ってるよという見方もあるが、これはSFだからして(当然)セックスを介在させずに人為的に人間を創るという話になる。

主人公は幼少時、ミロのヴィーナスの美しさに衝撃を受けた。そして幾つかのトラウマ体験を経て、女性というものに、特に女性の体というものに過度な畏れを抱いて成人した。畏れ……言い換えると恐怖・崇拝・憧れ……それらの入り交じった感情である。近づきたいという思いと、近づけない、近づきたくないという思い。要は屈折してしまったんだね。しかし気持ちはよくわかる。なぜ女性というだけでモテない男はここまで狼狽してしまうのか……。

主人公は大学でも、女性の体への盲目的な憧れとそれにまつわるトラウマ体験から逃げるために、勉強に打ち込む。ただただ勉強だけをするのである。その結果、変わった奴だということで悪目立ちし、それに興味を持った友人もできる。しかし本質は変わらない。トラウマと向き合わず、性欲と向き合わず、女性と向き合わず、成長しないまま勉強を続けるのである。

主人公はその後、ちょっとした思いつきから「凄い理論」のアイデアを思いつく。その影響は思ったよりも大きく、大学でプロジェクトが始まり、教授からは大学院に進むよう言われる。そして勉強は研究に変わり、逃避として、猛烈な研究生活に明け暮れる。その頃から、仲の良い友人だけでなく、主人公を慕ってくれる聡明な女性の後輩も出来る。だが、それでもなお、主人公は変わらない。向き合うべき対象と、向き合うべき時に、向き合うことを、決定的に避けるのである。そして主人公は後半、手痛いしっぺ返しを食らうことになる。いや、物語上は「必然」と言っても良いかもしれない……最終的には、主人公は人と離別してまで、人間を創るという、理想的な女性を創るという研究に邁進する。

言い換えよう。

本書は「人間が理想像(イデア)としての女を創るまでの物語」である。

余談

実は余談というわけでもないのだが、本書は『ファンタジスタドール』というアニメーションの前日譚、らしい。「らしい」と書いたのは、そもそもわたしは野崎まど作品ということで本書を手に取っただけで、このアニメについては内容どころか存在すら今日まで知らなかったからである。読み終わって感想を書こうとして初めて、基となるアニメーション作品があったことを知ったぐらいだ。Wikipediaによれば「ファンタジスタドールという存在を生み出した科学者の半生を描」いた作品が本書ということで、ストーリー的には繋がるのかもしれないが、アニメの絵を見る限り、『ファンタジスタドール』の方はキャピキャピした美少女アニメという感じである。まさかこんな重い前日譚があるとは、お釈迦様でもわかるまいよ……。

個人的な感想を言わせてもらえば、あらかじめアニメーションを観ておく必要はないだろう。少なくともわたしは、アニメを知らなくても普通に楽しめた。「天才」や「人智を超えた存在」を描くという意味では、本作は実に野崎まどらしいモチーフであるし、文体もハヤカワ書房の読者向けにチューンナップされており(というか「女中」や「ファクタア」といったこれは大正時代かねというような古風な言葉遣いである)、ラノベ臭さや美少女アニメ臭さはゼロ。れっきとした「普通に傑作のSF作品」である。むしろ『ファンタジスタドール』の視聴者が、メディアミックス作品だと言うだけで本作に飛びついたら、戸惑うのではないだろうか。