- 作者: 鳥谷敬
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/角川書店
- 発売日: 2016/03/10
- メディア: 新書
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しかし、その考えは、菊池涼介『二塁手革命』と、本書『キャプテンシー』を読んで、完全に覆された。これからはスポーツ選手や棋士といったアスリートが書いた本を積極的に読んでいきたいと思う。
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さて、『二塁手革命』については上記のリンクで感想を読んでいただくとして、本書がのっけからなかなか凄い。まず第一章が「『覇気がない』と言われ続けて」という異様な情念がこびりついたタイトルなのだが、肝心の内容も凄い。
「覇気がない」
ずっとそう言われ続けてきた。(略)
たしかに、僕は感情をおもてには出さない。ホームランやタイムリーを打っても派手なガッツポーズをすることはめったにないし、三振したり、チャンスに凡退したりしたときも、悔しさや怒りをあらわにすることはない。淡々とプレーをしているように見えるかもしれない。
だけど、僕は思う。
「履きを感じさせれば、それでいいのか? やる気があるということになるのか? 感情を出さないと、やる気がないことになるのだろうか?」
そんなことはないはずだ。
そもそも、覇気を出したからといって、それだけで試合に出られるかといえばそんなことはないし、やる気を前面に出せば成績が上がるというものでもないだろう。逆に、覇気を感じさせないと成績が下がるということもないはずだ。
事実、これまで二〇〇〇本安打をマークしたようなバッターの中で、気持ちを前面に出したり、派手なパフォーマンスをしたりした人がどれだけいただろうか。少なくとも僕はあまり見た記憶がない。
ならば、僕も無理してそんなことをする必要はないだろうと思っていた。結果に対して叩かれるのはしかたがないけれど、それ以外のことを取り上げて批判するのはどうなのかと、正直、思っていた。たしかに優勝していないのは事実だが、その原因を、僕に覇気がないことに求めるのはおかしいのではないかと……。
ホームランを打っても、タイムリーヒットを放ったときでも、僕が笑顔を見せることはめったにない。ましてやガッツポーズなんて、絶対と言っていいほどしない。
うれしくないわけではない。打ったときは「やった!」と思う。
でも、僕は決めている。
「そういうことはしない」
あえて自分を抑えている。(略)
「そんなヒマがあったら、次のことを考えるべきだ」
「声を出せ!」
練習中、監督やコーチからよく言われる。(略)
でも、ここでも僕はこう考えてしまう。
「何でもかんでも、声を出していればいいというものでもないだろう」
(略)だから、声を出していないからといって、「やる気がないのか」と叱責されるのは心外だし、「声を出していればそれでいいのか」と思ってしまうのだ。
二〇〇七年には、「全力疾走を怠った」として、金本さんから名指しで批判された。(略)
「どうして本塁に突入しないのか。緊張感も集中力も感じられない」
と指摘されたのだ。
そのころの僕に、そういう面が少なからずあったことは認める。(略)
話を聞いて「ああ、そうだな」と素直に納得した。反省した。全力疾走することによって、チームの士気が高まるということも事実だと思う。だから、それ以降。全力疾走を心がけている。
ただ——いつでもやみくもに全力で走ればいいというものでもないと思う。
上記は、典型的な「合理的」と「シニカル」を履き違えた人間の発言である。そして何事にも「否定」から入る人間の発言である。覇気を見せればやる気があるというわけではない、ひとつひとつのプレーに一喜一憂すれば良いというものではない、声を出せば良いというものではない、全力疾走すれば良いというものではない……それらは全て間違いではないかもしれない。しかし同時に、一流アスリートが今さら言うようなことではないとも思う。これらは全て、思春期に葛藤し、そして大人になるに従って自己解決するレベルの話である。
本書の帯には「僕は僕のやり方で阪神を変える!」と書かれているが、鳥谷本人が認めているように、鳥谷はリーダーの器ではない。そして自分のやり方を変えるとも言っていない。率直に言って、本書のタイトルがキャプテンシーということには強い違和感を覚えるし、鳥谷のリーダーシップレベルでは、金本監督が掲げる超変革の追い風にはならないだろう。まあ、わたし自身は広島ファンなので、鳥谷自身を批判する気はないけどね。むしろ鳥谷がリーダーを続けてくれた方が他球団にとっては有り難いように思う。