仲正昌樹『マックス・ウェーバーを読む』

マックス・ウェーバーを読む (講談社現代新書)

マックス・ウェーバーを読む (講談社現代新書)

著者曰く、マックス・ウェーバーの主著を淡々と紹介しながら、ウェーバーの着眼点のユニークさ、概念枠組みの精緻さを指摘することを企図した入門書である。具体的には、以下の構成となる。

第一章 宗教社会学
——『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』をめぐって

第二章 ウェーバーの政治観
——『職業としての政治』と『官僚制』をめぐって

第三章 社会科学の方法論
——『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』と『社会学の基本概念』をめぐって

第四章 ヴェーバーの学問観
——『職業としての学問』をめぐって

日経BPクラシックス プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 日経BPクラシックス 職業としての政治/職業としての学問 官僚制 社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」 (岩波文庫) 社会学の根本概念 (岩波文庫)

わたしは大学では社会学系の学部に所属していたこともあり、これらの本は全て一度は読んできているが、あくまでも勉強・研究のための読書だった。あるいは義務的な読書だった。*1

はっきり言おう。そうした読書の中で、わたしは、面白いと感じたことや「今ここ」というアクチュアリティを感じたことはほとんどなかった。しかしこれらは現在、読みやすい新訳が出ているものもあるし、そうでないものも本書を片手に、もう一度読んでみようと思っている。大学時代以来、わたしは15年近くアカデミズムやそれにより生み出された出版物を基本的に嫌悪してきた。しかし、そろそろもう一度、昔のわたしが感じていた(そして社会人として働く中で再び醸成されてきた)問題意識を、もう一度じっくり考えても良いような気がしている。

余談

著者は本書執筆に際し、以下のように書いている。

 古典を紹介するやり方として、「この作品には、現在日本社会が直面している危機状況にも当てはまるアクチュアリティが……」式のステレオタイプな言い方がある。そういうのをウリにする古典紹介本が最近やたらと増えている。しかし、“一般読者”を過剰に意識した安易なサービスは、テクストの価値を伝え損なうことにしかならない、と私は思う。すぐれた古典を読めば、読者がそこから学んだ物の見方を、自分の目の前の状況に当てはめてみたくなるのは当然だが、それを紹介者自身が大道芸的にやってみせる必然性はない。

つまり入門書としては硬派というか正統派で、「過剰なサービス」はない。というか嫌っている。わたしとしても「何となくわかりやすいけれども本質をスポイルした入門書」よりは「本質を捉えた入門書」を欲する。しかし先述のように、わたしは本書からウェーバー社会学のアクチュアリティを「感じ取ってしまった」わけで、この辺の問題は色々と難しい。まあ著者は読み手が目の前の状況に照らして色々と考えてみること自体を否定しているわけではないから、別に構わないだろう。

*1:このブログには、2000年8月以降に読んだ本はほとんど全て記録しているが、例外的に、塾講師時代に読み込んだ学習参考書と大学時代に読んだ学術書はほとんど記録していない。その理由は複数あるが、敢えて一言で書くなら感想の書きようが無かったというのが最も近い。あと大して理解していないという事実を結果的に露わにしてしまうのが気恥ずかしかったというのもある。