横山雅彦『ロジカル・リーディング』

ロジカル・リーディング ~三角ロジックで英語がすんなり読める~

ロジカル・リーディング ~三角ロジックで英語がすんなり読める~

わたしが大学受験をしていた頃から本を出していたベテランの予備校講師による新刊。今回は大学受験や英語学習に限らず、一般書籍として出したそうだ。

この著者は予備校講師のくせにたとえ話が致命的に下手で、話も冗長なのだが、本書の前提となる著者の基本的な考えは概ね以下のとおりである。あらかじめ書いておくと、意図的に著者を貶める目的でまとめたものではない。わかりづらい枝葉をわたしなりに削ぎ落としただけで、本当にこのような内容がこのように書かれている。

  • 「英語的」と「論理的」は同義である。だから英語で書かれた文章は全て論理的である。ロジックとは、多民族国家であるアメリカ人による心の構え・心の習慣である(つまりアメリカ人は皆、論理的である)。
  • 日本語には「論理」はない、なぜなら「論理」という言葉自体、明治以降に近代化を果たした後に作られた言葉だからである。また、日本はハイ・コンテクストの文化で、現代に至っても論理的な(logical)コミュニケーションは行われておらず、以心伝心・察し・腹芸を基にしたコミュニケーションが行われている。これらは非論理的(illogical)ではなく、前論理的な(pre-locgical)コミュニケーションであり、正しいも誤りもない。しかし論理的なコミュニケーションを取る人にとって、以心伝心のような前論理的なコミュニケーションはテレパシー(telepathy)である。
  • 英語も英語を扱うアメリカ人も論理的だが、日本語も日本人も論理的ではないため、日本人が英語を習得するには、英語ならではの論理的な説明の仕方・文章の書き方を学ばなければならない。その代表例は、トゥールミン・モデル(クレーム・データ・ワラントの三角ロジック)である。

非常に違和感を覚える物言いである。

第一に、日本語に「論理」という文字がなかったからと言って、それが日本語が論理的ではないという主張の根拠にはならないだろう。

第二に、日本文化がハイ・コンテクストであることと、日本語が論理的ではないことが意図的に混同されている。

第三に、ロジックは「(多民族国家を切り拓いたアメリカ人の)心の構え」という謎の主張がなされているが、ロジックは心の構えなどではなく、単に技術である。

もちろん、日本文化が相対的にハイ・コンテクストであり、アメリカ文化が相対的にロー・コンテクストであることはわたしも同意する。また、ロー・コンテクストであるほど日常のコミュニケーションが以心伝心や阿吽の呼吸では伝わらず、しっかりと説明しなければならないことも同意する。しかし繰り返すが、日本文化がハイ・コンテクストであることと、日本語が論理的ではないということは、別段イコールの事象ではなく、また論理的にも全く繋がらないものである。そして英語を学ぶことが、アメリカ人の心の習慣を学ぶことだという主張も意味不明である。百歩譲ってイギリス人の心の習慣ということであるならまだしも、アメリカという国は今や完全に民族間や階級間で完全に分断された国家であり、こうしたロー・コンテクストで生活しているという前提すら、一部の民族の一部の文化を取り上げた「乱暴な要約」にしかならない。

とにかく率直に言って、本書は一般書としてはあまりに未熟で、見るべきものはないと思う。

もちろん著者のそうした主張を横に置き、純粋な英語のリーティングのトレーニング本として見れば、まだ存在価値があるかもしれない。しかし著者の考えの礎になっているトゥールミン・モデル(クレーム・データ・ワラントの三角ロジック)の説明がまたわかりづらい。宇宙人をイチローが見たとかいうたとえ話を使っているが、もう少しわかりやすく書いてほしいものである。事実、googleで検索したところ、すぐにわかりやすいページがヒットした。

matome.naver.jp

1. D論理 (データ:Data)
客観的な証拠資料、【データ・根拠】

2. W論理 (ワラント:Warrant)
提示したデータがなぜ主張する内容を裏付けることになるかという【論拠・理論】

3. C論理 (クレーム:Claim)
論理として構築される一つの【主張・解・結論】

結論。トゥールミン・モデルを知りたいなら素直にググるか別の本を買うべき。

リーディングのトレーニングとしては……うーん、もうよくわからなくなってきたが、問題集としては必ずしも悪くはないような気もする。