プレジデント経営企画研究会『Why Digital Matters? “なぜ”デジタルなのか』

Why Digital Matters?――“なぜ”デジタルなのか

Why Digital Matters?――“なぜ”デジタルなのか

冒頭にヨハン・クライフの「選手ではなく、ボールを走らせろ。ボールは疲れない」になぞらえて、以下の言葉が書かれている。

「ヒトではなく、電子を走らせろ。電子は疲れない」

日本は戦後復興以降、人口が増え続け、市場規模も労働力も増え続けてきた。そしてその労働力は日本人の特性を反映し、長時間労働も厭わない勤勉さを持っていた。そうした人材を終身雇用として(良くも悪くも)家族的に抱え込んで、ヒトのノウハウ=会社のノウハウとして蓄積する。その結果、日本企業は「ヒトの力」「現場力の強さ」を武器に、高度経済成長時代以降、ブルーカラーとホワイトカラーを問わず成長を続けてきたのである。

その日本型成功モデルが、90年代以降崩れ去る。

色んな人が色んなことを書いているが、わたしは2つの理由だと思う。

ひとつの理由は、日本そのものの市場規模・労働人口が飽和したことである。土地神話の崩壊によるバブル崩壊は、長らく続いた「失われた20年」のきっかけに過ぎないとわたしは思う。要するに、日本という島国では市場規模も人口も労働力も、ここまでが限界なのである。ただ、これは本書のテーマではないため、一旦ここまでにしておこう。とりあえず、デービッド・アトキンソン『新・所得倍増論』を読めば、この話が詳しく、かつデータ込みで理解できる。

incubator.hatenablog.com

もうひとつの理由が、「デジタル化」に乗り遅れたということである。この2〜3年で急激にデジタル化という言葉を聞くようになったが、これは要するに「IT化」や「システム化」の定義が広がっただけの言葉であり、その本質、というか源流は90年代半ばのWindows95だと思う。Windows95以降、ITやインターネットに代表される「デジタル」の能力が飛躍的に伸び、ヒトの代わりにソフトウェアに仕事をさせることが可能になってきた。しかし日本社会や日本企業はその流れに徹底的に乗り遅れている。イノベーションのジレンマの地球レベルでの実験なのではないかと邪推してしまうほど、日本は「ヒト」ありきの成功モデルに縛られている。未だにおもてなしが唯一最強のソリューションで、未だに都心部ですら現金ありきの店が残存し、未だに会議は会議室で、そして未だに選挙投票は公民館や小学校なのだ。

日本は圧倒的にデジタル化を進めなければならないと思う。非常に大事なことである。

なお、本書はSAPが全面的に協力して作った本とのこと。ベンダー主導でなければ、さらに素直に読めるんだけどなあ。