松本大洋『Sunny』6巻

私はもう15年間も本や漫画や映画の感想をつけ続けているが、自身の力量不足に身悶えするケースが2つある。ひとつは自分の理解力や語彙力が浅すぎて、本の内容を巧く要約できないケースだ。そしてもうひとつが、作品から何かしらの深い感動や感銘を受けたのだが、その感情を説明できないケースである。例えば、私は4巻でこの漫画を以下のように評した。

本作『Sunny』もやはり「孤独」を描いた漫画であると言って良い。本作の舞台は、様々な事情を持つ子供たちが親と離れて暮らすための施設「星の子学園」であり、主人公はそこで暮らす少年少女たちである。子供たちは誰も施設で暮らしたいとは思っておらず、できれば家族と一緒に暮らしたいと思っている。しかし(経済的理由や離婚・死別により)それが叶わない。施設の大人たちは、そして松本大洋は、そうした子供たちの心情を百も承知で、彼ら・彼女らの精神が暗がりに堕ち切らないよう、ギリギリのところで支え続けている。哀しくも陽光のようにあたたかい眼差しに包まれた作品である。

ごく簡単な文章に見えるが、(実は)私は私なりに相当に苦心して、普段あまり使わないベタな直喩なども使いながら「哀しくも陽光のようにあたたかい眼差しに包まれた作品」という25文字をひねり出した。しかしやはり「何か違う」という思いを拭えない。この「何か違う」という思いは、単純に自分の感動や感情を表現できていないという自身の表現力に対する苛立ちと、この感動や感情を簡単に数ワードや数センテンスで表現できて良いものか(でも表現したい)というより本質的なジレンマである。

私はいつの頃からか、ある種の作品(詩や小説や漫画や映画)と出会った時に抱く感動や感情は、永遠に言葉では定義し得ないものなのだろうと思うようになっている。だから作品の深いところと共振し、魂を揺さぶられた作品ほど「面白い」とか「おすすめ」という言葉で簡単に済ませ、逃げることも多い。しかし、そうした逃げすら許さず、自身に更なる深い内省を促す作品がある。いわゆる「読者を捕らえて離さない」という奴だ。

今、改めて自分自身に問いたい。読みながら涙とともに溢れてくる、この感情を何と呼べば良いだろう? そこら辺の一般的な親よりもよほど深い覚悟で他人の子供を育てる「星の子学園」の職員・足立が星の子たちに対して日々抱いている感情を何と呼べば良いだろう? 足立からそこまで強く思われながら、それでも「足立が親ではない」ために満たされない子供たちの感情を何と呼べば良いだろう?

『Sunny』は、6巻で完結だ。しかし物語は終わらない。私はこれから『Sunny』を何十回・何百回と読み返す。そして私の内面で新たな物語が色鮮やかに立ち上がるだろう。『ピンポン』を超えた、松本大洋の最高傑作である。
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