柏木ハルコ『健康で文化的な最低限度の生活』1〜6巻

生活保護に関わるケースワーカーとして働く新卒公務員の奮闘や葛藤を描いた作品。

個人的にはなかなかの問題作。

この手の話というのは正直なかなか語りづらいところがある。わかったふりは簡単にできるが、100%納得が行くかと問われるとよくわからない。働けない人や生活に困窮している人に対するセーフティネットはあって然るべきだと思う一方で、わたし自身、楽をして金を稼いでいるわけではなく、むしろ寿命をすり減らして金を稼いでいるんだという思いもある。また、生活保護を受けている人もタバコや酒の少々は嗜めば良いだろうという思う一方、生活保護を受けてない人でも嗜好品を嗜む余裕すらない人は多くいるのにという思いもある。それに、体力的・体調的に働けない人がいることや、働きたくても働き口が見つからない人がいることもわかる一方、働けるはずなのに働いていない人(いわゆるフリーライダー)が一定数いることも気にかかる。そしてわたし自身、体力・体調に問題がある中、先ほども書いたように寿命をすり減らして働いているのだ。もちろん、そういう人(生活保護を受けている人)が一部いたところで大部分の辛い立場の人が生活保護で救われるなら良いんじゃないかという気もする。でもでも……と、正直この問題については考えても終わりがない。

要するに、自分の中でもスタンスが定まっていないのだ。定まるはずもないと思う。物事は一面では切り取れないのだから。社会におけるセーフティネットというのは極めて両義的な問題である。

だからわたしは、普段はこう考える。この辺のことは国や政治家や一部の運動家・活動家に任せておきたい、と。わたしは日々の生活で精一杯なのだから……。

本作は、それを許さない。

生活保護の問題は決して対岸の火事ではないですよと、突き付けてくる。

自分が下手すれば生活保護を受ける可能性もあるよとか、そういう紋切り型の偽善を語りたいわけではない。自分と同じように悩み葛藤するフツーの人々が生活保護のケースワーカーとして日々奮闘していること。生活保護を受けていることを甘んじて諦めている人々が多くいる一方で、生活保護を受けることを恥じている人々も多くいること。公務員というのは我々の税金を基に動いているということ。それらの描写ひとつひとつが、仮に自分が生活保護を受けなくとも、生活保護は社会問題として我々と地続きであることを突き付けてくる。

生活保護は恥ずべきことなのか? 権利だから恥ずかしくも何ともないと建前で言える人はたくさんいる。しかし10年も働かない人間を前にして、心の憶測で全員がそう思えるか? 少なくとも「世間」という名のプレッシャーはそれを許さないだろう。何ヶ月なら恥ずかしくないのか? 何年なら恥ずかしいのか? 病気なら恥ずかしくないのか? 障害なら大丈夫なのか? どこまでが権利でどこからが甘えなのか? どこまでが叱咤激励でどこまでが差別なのか?

切り離してきたはずの色んなことが、ぐるぐるぐるぐる、再び頭をよぎってしまうのである。

本書を読んで、心地良いカタルシスはない。エピソードごとに「これで良かったのか?」と「これしか無かったんだろうな」の天秤が少しずつ揺れ動く。正解はないのだろう。

しかしいずれにせよ続きは読みたい。読まなければならない。そんな気にさせる作品である。