羽海野チカ『ハチミツとクローバー 「やさしい風」』、『ハチミツとクローバー 「君は僕のたからもの」』、『3月のライオン』14巻

ハチミツとクローバー「やさしい風」【コミックス未収録話・1】 (その他)

ハチミツとクローバー「やさしい風」【コミックス未収録話・1】 (その他)

3月のライオン 14 (ヤングアニマルコミックス)

3月のライオン 14 (ヤングアニマルコミックス)

久々にハチクロを読めて嬉しかったのか、読みながら、なんとなーく昔の記事などを思い出していた。それは、羽海野チカという人はハチクロを描いている際に「リア充扱い」をされて難儀したらしい、というものだ。キラキラした芸術大学でのキラキラした青春や恋愛を「リアル」に描いたというので、作者も当然リア充な人生を謳歌してきたんだよねという、やっかみめいた決めつけロジックである。

しかし(あとがきを読んでいると何となくわかるが)羽海野チカという人はそういうリア充的な青春や恋愛とは程遠い人生だったことを何かのインタビューで述懐していたことがある。色々と辛いこともあったようだ。むしろリア充ではなかったからこそ、空想・妄想を膨らませ、せめてそのような作品を自分で作り愛でたい、という強い衝動を保てたのだろう。

それによくよく思い出してみると、ハチクロの登場人物がリア充集団かというと、必ずしもそんなことはなかった。そもそも恋愛模様だって、三角関係どころか五角・六角の人間関係で、それらほとんどすべてが片思いで構成されるという難しさだった。古い作品なので軽くネタバレしてしまうが、主人公を含めた半数以上の人間の片思いは成就しなかった。あるいは成就したがリスク含みのものである。しかしそれでもハチクロは我々の胸を打った。その理由は、リア充の輝きなどではなく、非リア充な登場人物が自分ではなく他人のために、すなわち「優しくあるため」に皆が努力を払うという人間関係や世界観に魅力を感じたからである。さらに言うと、本作のモチーフ(素材)は報われない恋心だったが、そのモチーフが「報われない経験こそが人生を深く濃密にする」というテーマ(主題)に昇華したという意味で、わたしはハチクロを深く愛しているのである。

さて、なぜそんなことを思い出していたのかというと、この「やさしい風」と「君は僕のたからもの」はハチクロ本編の後日談的なエピソードである。ハチクロ本編における主要登場人物は、それこそ暴風雨のような感情の起伏があったのだが、おの後日談における登場人物は随分と落ち着いたものだ。登場人物が果たしてリア充になれたのかどうかは知らないが、それぞれ、一筋縄では行かない経験を糧に、それなりの「居場所」を得たのだと感じた。そして奇しくも『3月のライオン』においても、ここしばらくはずっと平穏なエピソードばかりが続いている。これが何かを意味するのか、それとも単なる偶然なのか、そんなことを邪推してしまったのである。徹底的に読者をゆるふわな気分にさせておいて、また(ハチクロ本編や3月のラインの初期・中期のような)ジェットコースターのような展開が待っているのではないかな、とかね。