インキュベ日記

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『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』

打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? [DVD]

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『if もしも』というフジテレビのオムニバスドラマがあった。A子と結婚するかB子と結婚するかといった大きな選択から、左と右の椅子どちらに座るかといった些細な選択まで、人生は無限の選択の連続で出来上がっていると言っても良い。本来、選択しなかった未来は永遠に経験することはできないわけだが、両方の選択を見てみましょうというのがこのドラマのコンセプトである。実際のテレビではタモリがナビゲーターとなって、2つの選択を選んだ結末をそれぞれ見せてくれていた。この物語は、些細な選択によって結末がガラッと変わる、まさに「バタフライ効果」としか言いようのないものもあれば、どちらを選んでもバッドエンドしか迎えられないビターテイストの物語もあった。しかしいずれにせよわたしはこの種の物語が大好きだったらしい。当時中学生の頃だったはずだが、ほぼ毎週チェックしていた。Wikipediaを見ると、わずか半年間しか放送されなかったそうだが、このテンプレート自体、今もう一度やっても絶対に面白いと思う。若手の映像クリエーターがこぞって応募してくるんじゃないかな。

実は、本作『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』は、映画でも何でもなく、当初はこの『if もしも』というオムニバスの1回分の放送に過ぎなかった。わたしは幸運にもリアルタイムでこのドラマを見ることができ、そして……文字通り「衝撃」を受けた。わたしはたまたまビデオに録画していて、擦り切れるように繰り返し見た。その後、これが岩井俊二の作品であること、世の中的にも異例とも言えるほどの評価を得ていたことは、ずっと後になってから知ることになる。本当に優れた作品は、「ブランド」や「プロモーション」がなくとも人を惹きつける力があるということだろう。

閑話休題。ストーリーは、「引っ越し」におけるクラスメートとの別れの物語であり、友情と恋の物語である。Wikipediaを引用しておこう(役者名の補足はわたしによるもの)。

小学生の典道(山崎裕太)と祐介(反田孝幸)は仲の良い友達だが、実は2人とも同級生のなずな(奥菜恵)のことが好きだった。しかしなずな(奥菜恵)の両親が離婚し、彼女が母親に引き取られて2学期から転校することになっているとは、2人には知るよしもなかった。親に反発したなずな(奥菜恵)は、プールで競争する典道(山崎裕太)と祐介(反田孝幸)を見て、勝った方と駆け落ちしようとひそかに賭けをする。勝ったのは祐介(反田孝幸)か? 典道(山崎裕太)か? 勝負のあとから、異なる2つの物語が展開する。

典道(山崎裕太)の感情、祐介(反田孝幸)の感情、2人の関係性と、これまた10分や20分では到底語り尽くせぬほど色々あるのだが、ここではやはり、なずな(奥菜恵)について語りたい。以降、奥菜恵・山崎裕太・反田孝幸と、役名ではなく役者名で話を続ける。この作品を初めて観た時は、少年たちの年齢相応(もしくは年齢以下)の見た目と、ヒロインである奥菜恵のあまりにも大人びた姿のギャップに違和感を覚えるかもしれない。登場人物は小学5年生とか6年生という設定なのだろうが、奥菜恵は明らかに異質だ。小学生ではないようにみえる。Wikipediaを見ると、山崎裕太と反田孝幸は二人とも1981年生まれで、奥菜恵は1979年生まれ、つまり2歳差だ。この実際的な年齢差が、初めてこの作品を見たときの「違和感」に繋がるのだろう。しかし何度か見返すうちに、わたしはこれが非常に良い塩梅だと思うようになった。何を言いたいのかというと、わたしの少年時代を思い返してみても、あるいはごく一般的な少年少女の成長過程を観察しても、小学校高学年の男子はどこまで行ってもガキであり、女子は既に大人に足を踏み入れているという率直な実感である。身長体重といった話を除けば、実際のところ、小学校高学年の男子と女子には、明らかに数年分の精神年齢の差があったのだろうと思う。

さて、詳しいストーリーはネタバレを極力避けるべく書かないようにしたのだが、今回は是非とも自分の中から吐き出して書きたい「シーン」が幾つかあり、結局ある程度のネタバレがある。その点ご了承いただきたい。それは全て、奥菜恵の演技(あるいは演技とも呼べない無自覚な振る舞い)である。

まず奥菜恵の昼間の小学校でのシーン。既に女性としての魅力が少しずつ無自覚に匂い立ってしまっている。しかしこれはあくまでも無自覚な、イノセントな振る舞いなのである。理科の実験のために電気を消した教室で炎に照らされた姿、無邪気にプールサイドに横たわって片足だけプールに入れている姿、蟻が首筋や鎖骨のあたりを歩いているのを指摘され「取ってよ」とお願いする姿、全てが奇跡的なバランスである。

続いて、夕方、浴衣を着て主人公の山崎裕太と「駆け落ち」と称して駅まで行くシーン。奥菜恵は駅のトイレに行き、浴衣を全部脱いで普通の洋服に着替え、そして化粧をする。田舎の駅のトイレはかなりオープンな感じだが、山崎裕太は(当たり前だが)それを直接見ることはできない。衝立を挟んだ向こう側に山崎裕太はいるわけだ。そして衝立越しに奥菜恵の存在を感じ、浴衣を脱いだり服を着たりする衣擦れの音を聞き、衝立の隙間から奥菜恵の足首を見てしまうのだ。このシーンに現実に立ち会った少年は120%変態になるだろうなと思うが、それはまあ置いといて、着替えを終えた奥菜恵は化粧をしてグッと大人っぽい表情になって出てきて、山崎裕太に問う。「どう? 16歳に見える?」と。これは「駆け落ち」をすると生活のためにどこかで金を稼がなきゃならないが、自分が16歳に見えると夜の仕事もできるから何とかなるよね、とまあそういう会話をしているから出て来る発言である。しかしわたしは化粧をした大人びた格好とこの発言を聞いて、逆に子供っぽさを感じた。彼女は背伸びをしているのだ、精一杯。無自覚に匂い立ったイノセントな魅力ではなく、少しでも大人に見せようという背伸びをした魅力。どちらも魅力的だが、やはりイノセントな魅力には叶わない。

なお、結局「駆け落ち」は中止して地元に戻ってきて、奥菜恵と山崎裕太は夜の小学校のプールに忍び込む。そして奥菜恵は山崎裕太の静止も聞かず服を着たままプールの中に入り、水の中に頭の先まで潜ってしまう。そしてバシャバシャと顔を洗うのだ。そして山崎裕太を見つめてはにかんだ笑顔を見せる……。わたしはこれが、夕方に駅のトイレで施した化粧を落とす仕草に見えた。奥菜恵は、背伸びした自分から、もう一度「ただの少女」である自分に戻り、二人は何も考えずプールで二人だけの水遊びをするのである。興味深いことに、ここでは何故か昼間に感じ取れた奥菜恵の女性としての魅力はほとんど見えなくなっている。どこまで行っても子供の山崎裕太と、大人に足を踏み入れた奥菜恵が、「わかり合った」「一体化した」瞬間なのだと思う。しかし……何度も見返すうちに、わたしは思った。ここで2人が「わかり合う」ためには、あくまでも大人に足を踏み入れた奥菜恵が、何かを諦めて、子供に戻る必要があったのではないかと。そしてこの「子供に戻る行為」そのものが、あのバシャバシャと顔を洗って笑顔を見せる行為ではなかったかと。

時間を忘れて遊ぶ2人……そしてぷかぷかと水面に浮かぶ2人……夜のプールの水面に明かりが反射し、レトロさを感じるざらついた画質と相まって、ほとんど神々しいまでの美しい映像美である。再び奇跡的なバランスの美しさが見る者の心臓を射抜く。そして彼女は言う。「今度会えるの2学期だね……楽しみだね」と。ここでわたしは気づくのだ。彼女が「ただの子供」であった時間はもう終わったのだと。彼女は、綺麗な終わり方、綺麗なお別れの仕方を求め、もう引っ越してしまうことを口にはしない。当然、山崎裕太は気づかない。しかし見る者は知っている。もう2人が会えなくなることに。笑顔で「楽しみだね」と言った後、山崎裕太に背を向けてゆっくりと泳ぎだす奥菜恵の表情はどんなだっただろうか? 泣いていただろうか? もしかしたら、わたしは泣いていないのではないかと思った。後ろを向いても泣かないところまでが、家族に翻弄された彼女の意地だったのではないかと。

わたしはもう20回はこの作品を見ているのだが、泣いていなかったかもしれない彼女を想い、今回もまた泣いてしまった。

このシーンを泣かずに通り抜けることができれば、40歳を迎えながら未だに大人になり切れないわたしも、心の底から大人になれるだろうか?

最後に、奥菜恵に「楽しみだね」と言われ、背を向けてゆっくりと泳ぎ出す奥菜恵を見つめる山崎裕太の表情はどんなだっただろうか? 引っ越しをしてもう会えないことまでは当然気づかないだろう。自分が今抱いている感情が恋であることすら気づいていないであろうガキである。しかし山崎裕太は、何かを感じたのではないか、感じ入ったのではないかと思う。エピローグで彼は、浜で花火を見ながら何を考えたのだろう。数年後、またこの作品を見て、そんなことを考えるかもしれない。