清邦彦『女子中学生の小さな大発見』

女子中学生というだけで過敏に反応する俺の友人たちに最初に言っておくが、いたって真面目な本であり、いかがわしい本ではないので誤解なきよう。本書は、私立中学の教師をやっている著者の教え子(女子中学生)が見つけた「身の回りのできごとへの疑問や感動」を集めたレポート集……ということに一応なっている。しかし、普通のレポートとはずいぶん趣が異なる。ふと思いついたことを調べてみたり書きつづってみた――というだけの気軽な報告がほとんどだし、レポートとして未熟どころか「それはレポートじゃないだろ」と言いたくなるようなモノも多い。例えば、いま適当に開いたページには、こんな「レポート」がある。

Fさんは人工雪を作ろうと、夜中の1時すぎに外に出て霧吹きでシュッとやったけど、できませんでした。

Iさんはスキー場で雪の結晶を調べました。

どないやねん! 1つ目はともかく2つ目のレポートはアカンやろ! 雪の結晶を調べてどうやねん! というか雪の結晶の何を調べてん! それレポートちゃうやろ! と色々と言いたいことが出てくるが、こんな「レポート」は実はゴロゴロと転がっている。実に不思議な内容の本だが、これは著者なりの「レポート」に対する考えから来ている。その部分を少し「まえがき」から引用してみたい。

 なにもフルコースやらなくてもいいんじゃないでしょうか。長いレポートじゃなくてもいいと思います。別に結論が出なくてもいいと思います。わからないものはわからないままで。ちょっと試してみた、くらいの研究でもいいと思います。なぜだろう、と疑問に思っただけでもいいと思います。すごいっ、と感動しただけでもいいと思います。

 予想どおりにならなかったのは、失敗ではなく成功です。何も変わらなかったのは、「変わらない」ことを発見したのです。本と同じ結果にならなくても、それは気づかないところで条件が違っていたからであり、自分のやったことも正しい結果です。(中略)考え方がおかしいと言われても、「自分はそう考えた」というのは正しい事実です。

著者は、いわば子どもの「科学する心」とでも言うべきものを育てようとしているのだろう。それは(「知識」よりも学問において根元的な)「知的好奇心」であり、先の教育改革が中心に据えようとしたものでもある。達成感や体系的知識や抽象的思考力を子どもから排斥する先の教育改革に俺は否定的だが、こうした取り組みを否定するわけでは全然ない。勉強の密度と知的好奇心は両立できるし、また両立せねばならないと思うのは俺だけだろうか? それを実践するのが著者のような教育者の務めだと思う。

さて、最後に、俺が面白いなあと思った「レポート」を少しだけ紹介しておく。

Oさんは、アサリの活動と水温の関係を調べました。2℃では出てこず、3℃で出始め、15℃で活発に動き、20℃では出ているが少し動きが鈍く、73℃でぱかっと音をたてて開きました。

Mさんはタンポポの綿毛の数を数えました。233本ありました。/Sさんはスイカの種を数えました。521粒ありました。/Hさんは168gのスジコの中にイクラの粒がいくつ入っているか数えました。1505個ありました。/Nさんはイチゴの種を数えました。1つのイチゴに222個もの種がありました。

1つ目は単純にオチが面白かった。アサリ食ってるだけやん! つまらない芸人のオチよりは面白い。2つ目は馬鹿馬鹿しいまでの「好奇心の力」って奴に感服した。普通は気になっても数えないけれど、彼女たちは数えた。「やる」と「やらない」の間には厳然たる差がある。