向山貴彦『童話物語(下)』

今度は「大きなお話の終わり」という副題がついている。少女ペチカに酷いことをしてしまったことを心から後悔する少年ルージャンは「謝りたい」という一心で家族や生まれ育った街に別れを告げてペチカを探す旅に出る。しかし、すぐにルージャンは広い世界でたった1人の少女を見つけることがどれほど困難かを思い知ることになる。ルージャンはペチカに会うことを一時は諦めかけるが、偶然から少女ペチカと行動を共にしていた妖精フィツと出会う――というのが下巻のプロローグだ。上巻の話を踏まえた話なのであまり詳しくは書けないが、下巻はさらにスケールアップした物語となっている。

下巻にも資料設定集がついているが、これがまたファンタジーの質を上げるのにすばらしい役割を果たしている。例えば、前掲の『童話物語(上)』と本書『童話物語(下)』は本来、十巻からなる妖精の書『童話物語』の五巻『大きなお話の始まり』と六巻『大きな物語の終わり』の記述を簡略化して理解しやすいようにした書物である――といった設定となっている。そんな設定があったからといって別に物語と直接的に関係するわけではないのだが、これらには物語の世界観を深める働きがあり、そのおかげで本書がより魅力的な物語となっているのは疑いない。

ストーリーの根幹部分に踏み込まなければならないので詳しくは言えないが、本書が内包するメッセージ、それはとても俺の心に響く。ファンタジーというのはこうでなくっちゃ! という感じだ。ネガティブで絶望や挫折ばかりを取り上げる物語も中にはあるし、実際そういった話が俺もけっこう好きだったりするのだが、反面「ファンタジー」というのは子どもに夢や希望を持たせてこそナンボという面も確実にある。陳腐にならずに夢や希望を語るのは、暗い話を上手に書ききるよりもずっと難しいと俺は思うのだ。

葛藤を抱えつつ現代社会に生き、夢だの希望だのといった言葉に肯定的否定的な何らかの反応を少しでも覚える人は、本書を読んだら絶対に心を揺さぶられるんじゃないか。各人それぞれ何か感ずるものがあるんじゃないか。必読といって良いと俺は思う。ちなみに宮崎駿が帯で賞賛していたが、確かに本書の極上のファンタジー性はスタジオジブリと通底するものがあるかもしれない。必読。