石原千秋『小説入門のための高校入試国語』

大学入試国語については、きちんとした読みを教える参考書から、小手先のテクニックや恣意的な読みしか教えられない参考書、トンデモ本まで、数々の参考書が出版されている。しかし高校入試国語に目を向けてみると、あるのは「問題集」ばかり、文章の読み解き方をきっちりと提示できている「参考書」は皆無である。そんな中、小説だけではあるが、ページを割いて中学生向けにきっちりとした読解法を書いてくれている、数少ない参考書が本書である。その意味だけでも、本書には大きな価値がある。

本書では、前回の『秘伝 中学入試国語読解法』と共通する「国語の問題には隠されたルールがある」という主張を展開している。学校は「学校的」な道徳観を前提とした入試問題を作成している――という前提だ。非常に極端な例を挙げれば、レイプシーンやSMシーンの描写は絶対に入試に出されないし、スカトロジストの変態的な心理を問うような問題も出題されない。学校で起こっている現実を踏まえて「いじめ」を題材とする問題は出されているが、「いじめ」を肯定するような問題文は出されることはないし、「いじめ」を肯定するような設問が正答となることも決してない。

入試問題は、単純な学力はもちろんだが、それだけでなく、個性のある、そしてその学校が求める人材を選定するためのテストなのである。そういった考えに昔の俺は否定的だったし、俺が塾で教える際にそのようなことを強調することはない。だが、それは事実なのだと思う。そうでなければ、学校ごとに「問題の傾向」が生まれることは有り得ないからだ。

また、学校が単純に個性の全く介在しない偏差値的な学力だけを求めているのであれば、学力以外の何かが介在しないように、毎年毎年、全く異なった傾向の問題が出題されるなどといった対策が取られることもあるだろう。しかし、そうなることはない。

入試問題とは出題者と受験生との「真剣勝負」である――これが石原千秋の基本的な考え方である。出題者の意図を見抜くような読解を提示することはしないが、出題者の存在を念頭に置いた読解はするべきであるというスタンス。国語が得意でない人にここまで言ってしまうのは逆効果ではないかとも思うが、一定の妥当性を持った言説である。

上記の話は石原千秋の著作全てに通ずるスタンスだが、本書には『秘伝 中学入試国語読解法』に登場しなかった読解の武器が登場する。それはロラン・バルトの「物語は一つの文である」という立場にならって、問題文全体を一文に要約する練習を積み重ねるというものである。それを石原千秋は「物語文」と名付けている。基本型は2つあり、「〜が〜をする物語」と「〜が〜になる物語」のどちらか、あるいは両方にまとめていけば良いそうだ。「物語文」は要約や記述問題の練習になると同時に、問題を解く際の直接的な武器となる。似たようなことは俺もやっていたが、それよりもメソッドとして洗練されている。実践的な技術なので、これを知ってからは俺も(いつもではないが)意識的に使うようにしている。

最後に1つだけ。石原千秋を女と思っていた人もいるかもしれないが、男である。オッサンである。まあ著者がオッサンかどうかとは関係なく、必読。