山口仲美『犬は「びよ」と鳴いていた』

日本語の特質の1つとしてオノマトペ(擬音語や擬態語)の豊富さが挙げられる。擬音語や擬態語は好き嫌いが分かれる表現であり、三島由紀夫なんかは下品な言葉として忌み嫌っていたそうだ。紋切り型の擬音語や擬態語を頻繁に使う文章は俺もあまり好きではない。しかし擬音語や擬態語に形容しがたい魅力があるのも、また事実である。本書は、英語の3倍の1200種類もあると言われる日本語の擬音語や擬態語の成り立ちや歴史・魅力について存分に書いている。発売後すぐ買って読んでいたもののアップするのを忘れていたため、今回また改めて読み直したのだが、これは間違いなく名著である。非常に興味深い話が満載である。

例えば、書名にもあるように昔の文章では犬の鳴き声は「わんわん」ではなく「びよ」と表記されていたが、実は、野生の犬は、遠吠えはしても「わんわん」とは鳴かない。「わんわん」は飼い犬に特有の鳴き声なのだ。昔は野犬が跋扈しており、捨て子や人間の死体を食べるのは普通だったし、女性が野犬に食い殺されたという話もあったそうだ。また飼い犬も放し飼いであった。そのような時代環境における犬は、総じて、やはり今よりもずっと野性味を帯びていただろう。必然、昔の人間にとっては、犬は「わんわん」などといった優しげな鳴き声ではなく、もっとドスの効いた濁音の吠え声や唸り声であり、古典において犬の鳴き声が「びよ」「びょう」と表記されていたのも当然の帰結なのだ。

他にも、嘔吐する音を「エブエブ」と表現したり、体が腫れる様を「ユブユブ」と表記したり、赤子の泣き声を「イガイガ」と表現したり、意味深な微笑みを「ニココ」と表現したり、そのような今と違う表現も多くある反面、約1000年の時を経ても、人が川を渡る音は現代と同じように「ザブリザブリ」と表現しているのである。本当に面白く、かなりオススメ。必読。