村上春樹『海辺のカフカ(下)』

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

海辺のカフカ (下) (新潮文庫)

村上春樹の小説では、なかなか魅力的な登場人物が脇を固めるように俺は思うのだが、それは本書でも同じである。偶数章の主人公的人物である「ナカタさん」は、たまたま知り合った「星野さん」に助けてもらいながら、導かれるように旅を続けているのだが、この「星野さん」が、とても良い。
「星野さん」は、人情味があり、あまり気取っておらず、言葉遣いもそれほどスマートではない、長距離トラックの運転手である。どこにでもいそうな――つまり、あまり今までの村上春樹の作品にいなかったタイプの登場人物である。そんな「星野さん」は、「ナカタさん」を不思議な奴だと思いつつ、どうしても放っておくことができずない。生活シーンにおける現実的な能力に乏しい「ナカタさん」を助けながら、旅のお供を続けている。しかし、仕事を放り出して、旅に同伴しているわけだ。旅に迷いや後悔があるわけではないし、自分で決めて、好きで「ナカタさん」を助けている。しかし、あまり長くなりすぎてもなあ……と思っている。当たり前である。何しろ「ナカタさん」の旅は(詳しくは書かないが)終わりのみえない旅なのだ。
「星野さん」の出てくる、とても気に入ったシーンがある。あるとき、「星野さん」は、クラシック音楽の流れる喫茶店に1人で入り、「マスター」と話をする。「マスター」はどちらかといえば内気な人間だが、クラシック音楽のことになると、実に様々なことを雄弁に語ってくれる。「星野さん」はクラシック音楽に詳しいわけではないが、「星野さん」と「マスター」は、曲や作曲者のことを色々と話す。そして、気に入った音楽を聴かせてもらいながら、思いをめぐらすのである。

 ハイドンの音楽が終わると、青年はもう一度ルービンシュタイン=ハイフェツ=フォイアマンのトリオの演奏する『大公トリオ』を聴かせてもらった。そしてその音楽に耳を傾けながら一人で再び長い省察にふけった。
「俺はとにかくいけるところまでナカタさんについていこう。仕事なんて知ったことか」と星野さんは心をきめた。

ここが俺の最も心が揺さぶられたシーンである。読んだことのある人は、「おー、コイツはここが気に入ったのか」と思ってやって下さい。この本は必読なのであります(読んだ人にはわかるネタ)。