日垣隆『そして殺人者は野に放たれる』

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)

そして殺人者は野に放たれる (新潮文庫)

胸くそ悪いニュースが日々濁流のごとく流され、そして簡単に忘れ去られている。しかし、よく見ると、様々な事件が様々な理由で、不起訴になったり無罪になったり罪が軽減されたりしている。

  • まだ少年だったから
  • 覚せい剤を常用して頭がおかしかったから
  • ドラッグをキメて前後不覚だったから
  • 深酒により酩酊していたから
  • 精神病だったから
  • 人格障害だったから
  • パニック状態で正常な判断ができる状態じゃなかったから
  • あまりの怒りに我を忘れてしまったから

そのどれも俺にはピンと来ていなかったのだが、本書は、こういった欺瞞に対して明快な回答を示してくれている。つまりこういうことだ。運転中にクモ膜下出血で意識を失って人をはねてしまった――というような本当の意味での心神喪失といった例外を除き、前提がどうであれ、犯した罪は裁かれなければならない! 償わなければならない!
当たり前の話である。そもそもドラッグや覚せい剤を使用して罪を犯したのなら、二重の意味で犯罪行為なのだし、酒だって(原理的には)相手に迷惑をかけるリスクを受け止めて飲むべきである。つまり一般的な感覚では、ドラッグや覚せい剤なんかを使って他人の命を奪ってしまった場合、罪は重くならなければならない。しかし現実には罪が軽減ないし問われないという「異常」な事態が起こっている。
また本書は、特に精神病と犯罪との関係に関しては、非常に重大な問題を幾つも提起している。例えば、「精神病やドラッグや覚せい剤」と無罪との、暗黙の癒着関係である。一見して異常に見える言動を片っ端から精神病や人格障害やドラッグと結びつけ、無罪や罪の軽減を勝ち取ろうとする輩。本書を読む限り、多くの奴らが無罪や不起訴や執行猶予などを勝ち取り、罪を償わぬまま実際に街を徘徊しているのだと思う。おぞましいというほかない。
しかも、一部の法律家や精神科医は、犯罪者の権利を保護し無罪にしたいばかりに、彼らの人間性を認めない、罪を償う資格もない、とする「逆差別」を行っている。そこまでして無罪を勝ち取りたいのか。
また本書では、再犯の恐れのある精神病の犯罪者を強制的に隔離するような法律についても触れている。しかし「再犯の恐れのある」とは一体どういうことだろう? 精神病に罹患していようが、強い人格障害だろうが、「普通」の人だろうが、誰にだって初犯の恐れも再犯の恐れも無いとは言い切れないのである。罪を償わせない上、新たに償うべき罪を犯していない人を強制的に隔離する――二重三重に間違っている。
何を「罪」とするかという問題は非常にデリケートな問題かもしれない。しかし殺人や強姦や強盗といった罪が重罪であることに関しては議論の余地もなかろう。事情を完全に理解しているとは限らないまま、非常にデリケートな問題について語っている――と認識した上で、それでも書きたい。犯した罪は、裁かれなければならない。犯した罪は、償わなければならない。罪に応じて罰が与えられなければならない。シンプルだが、これが自然かつ妥当な大原則なのだ。少なくとも俺はそう思う。必読。

追記

実際に読んだのは単行本だが、文庫版にリンクを変更。