荒俣宏『悪趣味の復権のために バッドテイスト』

テイスト、すなわち趣味とは何か。
本書はこのような問いかけから始まるが、本書で述べられるように、確かに「趣味(テイスト)」という言葉や概念ほど(日常的に使われていながら)分析・考察されていない言葉も珍しいかもしれない。例えば「趣味が良い(悪い)」と言うときの基準は何か? 主観的なもの? それとも感覚的なもの? 改めて振り返ると曖昧そのものである。本書はあえて、テイスト(趣味)ではなく、バッドテイスト(悪趣味)を徹底的に観察・考察する。

バッドテイストはあからさまな表現に宿る。
バッドテイストは<性器>に宿る。
バッドテイストは<死>に宿る。
バッドテイストは無知なる模写に宿る。
バッドテイストは猟奇に宿る。
バッドテイストはセックスに宿る。
バッドテイストは<動き回る女>に宿る。
バッドテイストは<老い>に宿る。
バッドテイストはエロティックな異国の美女に宿る。
バッドテイストは<未来>に宿る。
バッドテイストは<加虐>に宿る。
バッドテイストは<野生>に宿る。
バッドテイストは<攻撃的な女>に宿る。
バッドテイストは花の装飾に宿る。

アラマタ曰く、バッドテイスト(悪趣味)とは、美とモラルとハーモニーの対局にあるものなのである。バッドテイストはいわば下半身のテイストであり、あからさまで、奇怪で、野蛮な、快楽のテイストである。だからこそ人間はテイストを求めるのだが、アラマタは重要な視点を本書で提供する。

テイストとバッドテイストとは、たがいに角つきあわせる敵同士ではなく、補完し合う仲間なのである。バッドテイストを欠いたテイストは、精神を健康に保たせることができない。だからこそわたしたちも、時にバッドテイストに目を奪われるのだ。
おまけにバッドテイストは、本源的な美意識につながっている。美の下半身であり、ビフテキであり、刺身なのだ。まだ体力のない幼児や子どもが、しきりにバッドテイストなものに心引かれるのも、ごく自然な傾向といっていいだろう。バッドテイストは、知を成長させる栄養満点の食材でもあるのだ。
バッドテイストは精神の成長のために必要だが、テイストは向上のために要る。

確かに、時に人間はバッドテイストなものに惹かれる。もちろん、四六時中エロは要らないし、快楽も要らないし、過剰性も要らないが、それらが全くない生活は寂しいものである。本書は、怪奇でグロテスクであからさまなカラー図版が満載である。ぜひともバッドテイストを堪能していただきたい。