奥本大三郎『ファーブル昆虫記3 セミの歌のひみつ』

ファーブル昆虫記〈3〉セミの歌のひみつ (集英社文庫)

ファーブル昆虫記〈3〉セミの歌のひみつ (集英社文庫)

大人が読んでこそ面白い、『ファーブル昆虫記』のジュニア版。
第3巻では、セミやチョウ・アリ・毛虫といった日本人にも身近な昆虫の習性を多く調べているが、特にマツノギョウレツケムシの行列の観察は、非常に興味深かった。この毛虫が自分たちの巣に帰る際に拠り所とするものは、自分たちが吐き出して目印とした細い糸である。たまたま先頭になった毛虫(ファーブルは「隊長」と呼んだ)が道案内役となって糸をたどったり道を決めたりして、他の毛虫は何も考えず隊長の後にくっついて移動する――という習性を持っている。では、毛虫の行列をぐるっと繋げて完全な「輪っか状」にしてしまい、隊長毛虫が存在しない、「ひたすら誰もが前の毛虫についていく状態」を作り出したらどうなるだろうか? ファーブルはそれを実験するが、まさしく地獄の行進が繰り広げられるのである。
昆虫は素晴らしい能力を持っているが、その能力は実に限定的なものだ。昆虫は、自身の素晴らしい能力を発揮させるべき時期が本能で規定されており、その時期や条件を外れてしまった場合、応用力を働かせることはできないのだ。それをファーブルは「本能のおろかさ」と呼んだ。
たとえ傍から見ると明らかにおかしくても、毛虫は「先頭でない場合はひたすら前の毛虫についていく」という本能から抜け出ることはできず、無益な行進をいつまでも続ける。ずっと離れたところから、草の上に置いた自分の餌まで正確に戻ってくることのできる記憶力を備えたハチも、獲物の上に葉っぱをかぶせただけで、すぐ目の前にある自分の獲物を見つけられない。ある虫は、一度巣作りを終えてしまったら、その巣を壊しても、もう二度と巣作りを行うことはできない。昆虫の素晴らしい能力は、実に限定的なのである。しかし、だからこそ面白い。