
- 作者: 村上春樹
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2006/09/16
- メディア: ペーパーバック
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しかし俺が最も驚いたのは、本書は(短いながらも一応)長編小説なのにもかかわらず、セックス描写が出てこなかったことである。デビュー作『風の歌を聴け』で「鼠の小説には優れた点が二つある。セックス・シーンの無いことと、それから一人も人が死なないことだ」と書いた村上春樹は、もう世界中どこをどう探しても存在せず、この10年か15年ほど、長編小説には必ずと言って良いほどセックス・シーンが登場している。しかもセックス描写としてはいささか特殊である。といってもアナルセックスだのSMだのコスプレだの痴漢プレイだのといったアブノーマルな行為が頻繁に出てくるという意味での「特殊」ではなく、描写が生々しいわりにリアリティはほとんど無く、ちーっとも興奮しないということである。むしろ嫌悪感ばかりが際立つ。
まあ読者を興奮させるためにセックス・シーンを書いているわけではないだろうし、村上春樹からすれば「俺っちは成長も変化もしているのだから、今さら意味ありげなデタッチメントだけ書いていくつもりは全然ないッスわ!」という感じだろうが、俺は村上春樹のインタビューを何度読んでも、あの粘着質なセックス描写に生産的な意義を感じたことはほとんどない。むしろ、小説という形態を通してしか追求できないテーマを何十年もかけて表現してきた村上春樹が、なぜ人間の大半が行うわりに何となく秘められたイメージがあり、しかも「コミュニケーション」という村上春樹の重要なテーマを容易に想像し得る、セックスという安直なモチーフにこだわり続け、自らのテーマの重要な部分を仮託し続けるのか――と今でも不思議に思う。
個人的には、本作は作品として鬼気迫るものは少なかったように思うが、それでも村上春樹の1ファンとしてはセックス描写から解放されているということだけで嬉しかった。セックスをテーマ(あるいはモチーフ)とする作品は「とくダネ!」の収録を終えて一息ついた昼下がりの室井佑月に片手間でやらせればよろしい。あるいは団鬼六が(官能小説という分野ではあるが)既に非常に高いレベルで達成している。