村上春樹『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』

ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック (中公文庫)

ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック (中公文庫)

村上春樹が宿命的に惹かれた作家、スコット・フィッツジェラルドを存分に取り上げた本。フィッツジェラルドゆかりの地を訪ね、『夜はやさし』をめぐる2つのバージョンについて解説し、フィッツジェラルドの妻ゼルダについて語り、映画『華麗なるギャッツビー』のコメントを寄せ、2つの短編を訳している。
本書を読む限り、スコットもゼルダも、多くの人間的な欠陥を抱えていたように見える。生活能力も皆無だった。2人はその欠陥を取り繕うべく努力もしたようだが、スコットは借金にまみれて若くしてその生涯を閉じ、ゼルダは正気と狂気の間を行き来しながらバイタリティーの枯渇した余生を送った。それでもなお、スコットは小説や執筆活動に対して、その奔放な生活とは裏腹に誠実な態度で接していたように見える。そのスコットの姿を読者が容易に理解できるのは、やはり村上春樹自身がスコットに対して強い愛を抱いているからであろう。
村上春樹はあとがきで以下のように述べている。

僕がスコット・フィッツジェラルドの作品にはじめて触れてから、もう二十年以上の歳月が流れた。そのあいだにいろいろなことがあった。まず第一に僕も――と比べるのも気が引けるのだが――小説家になった。そして少しずつ、少しずつ、彼が死んだ歳(四十四歳)に近づいている。
僕は時々思う。僕の今の歳にフィッツジェラルドは何をしていたんだろう、と。
たとえば今僕は三十八だけど、三十八の歳にフィッツジェラルドは『夜はやさし』を出版している。
(中略)
これからも少しずつ、ゆっくりと時間をかけて、フィッツジェラルドの作品を訳していきたいと思う。六十を過ぎた頃には、あるいは、『グレート・ギャッツビー』を訳せるようになっているようになっているかもしれない。

歴史を感じる文章である。村上春樹は10代の頃にフィッツジェラルドの作品群と出会い、38歳で、60歳を過ぎた頃には『グレート・ギャッツビー』を訳せるようになっているかもしれないと夢想しているのだ。村上春樹にとってフィッツジェラルドはそこまで大きな存在なのだと再認識させられた。
ところで、村上春樹はつい先日、60歳を前に『グレート・ギャッツビー(偉大なるギャッツビー)』の翻訳を発売した。それほど遠くない将来に俺も村上春樹版『グレート・ギャッツビー』を読みたいと思う。