森奈津子『西城秀樹のおかげです』

西城秀樹のおかげです (ハヤカワ文庫 JA)

西城秀樹のおかげです (ハヤカワ文庫 JA)

『SFが読みたい!』で紹介されていた本。
「エロス」と「笑い」は重要な創作上のテーマである――と著者のHPに書かれていたように、この短編集もエロスと笑いが重要なテーマである。というか全編エロスと笑いオンリーと言って良い。主にバイセクシャルでアブノーマルな視点から、エロスが徹底的に掘り下げられている。日本SF大賞にノミネートされたそうだが、これを「SF」と言っていいのかどうか、門外漢の俺にはよくわからない。少なくとも「Science Fiction」というよりは「Sexual Fiction」と言うべきであろう。
ただ、SFかどうかはともかく、本書ははっきり言って相当面白い!
個人的に最も面白かったのは「哀愁の女主人、情熱の女奴隷」である。この短編は、主人公・時子の兄とその妻が事故で亡くなるところから始まる。主人公は、兄の遺言に従い10歳になる姪の絵美里と暮らすことになり、また兄夫婦が残した幾許かの遺産を相続することになる。その遺産の中に兄夫婦が使っていた家事用アンドロイド・ハンナがいたのだが、実は「家事用アンドロイド」だと思っていたハンナは「セクサロイド」だった――という設定である。セクサロイドという言葉から想像がつくように、セックスのお相手をするアンドロイドである。しかも兄夫婦の双方と。ハンナは考えることもできるし感情もあるのだが、常にエロスが基準なので、その言動に時子が振り回され続ける。このやり取りが実に面白い。
例えば、時子は、両親が亡くなり毎日泣いている絵美里を慰めてほしいとハンナに言うのだが、ハンナはあろうことか、絵美里をセックスで慰めようとするのである。ハンナを慌てて絵美里から引きはがし、「指一本触れるな。一言も言うな。ただ、そばにいてやってくれ」と念を押してもう一度ハンナに慰めさせようとするが、やはり上手く行かない。アブノーマルな生活をしてきたセクサロイドに常識を教えようとしても無駄かもしれないと半分諦めた時子は、怒りに任せてハンナに厳しい言葉を言い放つ。

「もう、おまえなんぞは、廃棄処分だっ!」
「ああっ、お許しくださいっ! お許しくださいっ!」
 ハンナは平伏し、時子の足にすがりついた。
「なんでもいたしますっ! ご主人様とのSMプレイであろうと、ご主人様とのレズ・プレイであろうと!」
「さりげなくおのれの希望を述べるなっ! ずうずうしいにも、ほどがあるっ!」

この後も更なる不毛なやりとりを経た結果、怒りとやりきれなさに、思わず時子はハンナに殴りかかろうとしてしまうやりとり、これも笑える。

 暴力を予期したアンナは、おびえた仕草で身を引いた。が、その瞳はキラキラ輝いていたのだ。おそらくは、期待で。
 そうと気づいた時子は震える拳をおろし、非常に苦労をしてその手を開いた。
 ハンナは切なげな声で問う。
「なぜ……なぜ、打擲(ちょうちゃく)してはくださらないのです?」
「やめた」
「物足りのうございます。わたくしの欲望は満たされておりません」
 ――やはり、こいつは暴力を期待していたのだ。自分の目に狂いはなかった。

この後も、これらの不毛な会話が続くのだが、アンドロイドは人間と同じように感情を持っているため、どうやらハンナも自分が時子に好ましく思われていないことを察するようになる。しかし、その後がまた面白い。

(中略)ハンナはハッとした顔で黙り込んだ。
 そして、しばしの沈黙の後……ハンナは悩ましげなため息をついた。
「はあぁ……」
「今度は、なんなんだよっ!」
「そこまでご主人様に嫌われているのかと思いましたら、つい、想像が先走ってしまって……」
「なに想像してやがるっ!」
「きっと、ご主人様は、わたくしを廃棄処分にするにちがいありませんわ。『それだけはお許しください』と泣いて足にすがるわたくしを、残酷にも足蹴になさって、それから『この淫乱セクサロイドめ』とおっしゃりながら、髪をつかんで引きずりまわして、さんざん殴る蹴るの暴行を加えて、虫の息になったわたくしを野蛮な業者に引き渡して『殺す前に味見してやれ』とかおっしゃるんですわ! 残酷にも! ああ……わたくし、怖い! だけど、期待してしまう……」
「勝手な想像をするんじゃねえよーっ!」
 ほとほとあきれはて、時子は声を絞り出す。
「結局、おまえ、どうなっても幸せなんじゃないかっ? そうだろっ? ええ?」
「苦痛イコール快感という、このアンチテーゼさえあれば、なにも怖くはございません」
 きっぱりと言いきったハンナを見て、時子はハッと気づいた。
(こいつは能天気なアホに見えて、実は結構、辛い目に遭ってきたんじゃないか?)
「ご主人様……?」
 どうやら、ハンナも時子の思いを察したらしい。
 部屋は沈黙に支配され、気まずい雰囲気になってしまった。ただし、このとき初めて、二人の心は通じあったわけである。
 やがて――。
 この沈黙に耐えられなくなったのか、ハンナは突然、時子に言った。
「そうですわ! わたくしのオナニー、ご覧になりません?」
「いきなり明るい声で言うなぁっ!」
 すると、ハンナはハッとし、目を伏せ、頬を染めておずおずと言い直す。
「もし、よろしかったら、わたくし、自慰行為をお見せすることもできますが……」
「恥じらいながら言えばいいってわけでもないだろうがっ!」
「では、これより、自慰行為をいたします」
「断固たる態度で言うなっ!」
 もう血管がブチ切れる寸前である。
「言い方を変えろって言ってるわけじゃねえんだよっ! 言うなってんだよっ!」
「わかりました。『不言実行』でございますね」

もう最初から最後まで下ネタのオンパレードである。しかし本書は単なる下ネタ本、官能小説などでは全然ない。例えば、先日読んだSFアンソロジーの『20世紀SF 1960年代 砂の檻』に収録されていた、ジャック・ヴァンス「月の蛾」や、傑作揃いの藤子・F・不二雄のSF短編の中でも掛け値なしのマスターピースと言える「ミノタウロスの皿」を(お読みの方は)思い返していただきたい。これらは、異文化や異文明とのコンタクトにおける根源的なコミュニケーション不全を通して「人間とは何か」「文化とは何か」「コミュニケーションとは何か」「心とは何か」を突きつけ、読者の価値観を揺さぶる作品だった。この「哀愁の女主人、情熱の女奴隷」も、人間とセクサロイドという設定、ノーマルとアブノーマルという座標軸で、同じことをやろうとしているように見える。
冒頭で「Science Fiction」というよりは「Sexual Fiction」と書いたが、このエントリーを書いているうちに考えが整理されてきた。やはり本書はれっきとした「Science Fiction」の傑作なのである。もちろん、バイセクシャルを公言する著者の趣味と実益を兼ねていることは否めないけれども……。