町外れの「ピアノの森」で育った少年カイ(一ノ瀬海)の物語。はじめは楽譜すら読めないカイが周囲を取り巻く人々によりピアニストとしての才能を開花させていく――Wikipediaの説明をパクったが、こんなところでアウトラインは外していないだろう。8巻から高校生編に入るが、そこまではカイの小学生時代の物語。一色まことは「クソガキ」を描くのがとにかく抜群に巧いので、この漫画でもその強みが遺憾なく発揮されている。
まあジャンル的には「音楽漫画」に位置づけられるわけだが、この漫画で掘り下げて描かれているのは「子供の才能と嫉妬」ではないかと思う。
第1巻では、祖母の療養のために転校してきた“ピアノの秀才”雨宮修平と、森のピアノを子供の頃から弾いてきた“ピアノの天才”カイの出会いが描かれている。カイは、野ざらしになっていて誰も弾けないはずの“森のピアノ”を素敵に弾きこなすくせに、普通のピアノはちっとも弾けない。で、通常のピアノ弾きは(もちろん)普通のピアノは弾けるけれど、森のピアノは弾けない。
その結果「不思議だね〜」で終われば誰も苦しまないが、そうは問屋が卸さない。普通のピアノを練習した一ノ瀬海が、天才ぶりを遺憾なく発揮して、雨宮修平を打ちのめしてしまうのである。
大人であれば、それまでの過ごし方も才能の練り上げに大きく影響している。野球のイチローや将棋の羽生は「才能」だけでここまでやってきたわけではなく、常人が及びもつかないような「努力」を費やしてきた結果として、その才能が発揮されているのである。しかし子供の場合、それはもう残酷である。ろくに練習なんてしてこなかったカイが、雨宮修平との核の違いをまざまざと魅せつけてしまうのである。
子供の頃から多くのことを犠牲にしてピアノの“練習”に打ち込んできた秀才・雨宮修平が、毎日おもちゃ代わりに森のピアノを“楽しく”弾いていただけのカイに「才能」を見つけてしまったときのショックといったら……残酷だよなあ。
ただ、『ピアノの森』は残酷なだけの漫画ではない。音楽漫画として秀逸なのは言うまでもなく、成長漫画としても秀逸である。例えば7巻には、俺が最も好きなエピソードがある。コンクールに落選し、しかも森のピアノも失ってしまったカイは、ピアノが弾きたくてたまらず、ついついイライラしてしまう。しかしある日、近所の兄ちゃんに頼まれて町まで行ったところ、アクリル樹脂で作られた透明なピアノを目の当たりにする。思わずその透明なピアノを弾かせてもらったところ、カイ本人も周囲もハッピーな気持ちになる。そしてカイは、自分はピアノが好きだということを再認識し、今までのような遊びのピアノではなく、本気のピアノに取り組んでみようと決意するのである。
また、4巻の後半から5巻の前半にかけての「便所姫・丸山誉子」のエピソードと、5巻の後半の「カイ自身」のエピソードも良い。どちらも「自分らしく弾く」ことができずに苦労しているシーンが描かれている。自分らしくあるというのは、どういうことか――難しいよな。大人だって、簡単にできることじゃない。いや、大人の方が難しいかも?