荒木飛呂彦『ジョジョの奇妙な冒険Part6:ストーンオーシャン』40〜50巻

泣く子も黙る名作漫画の文庫版。

第六部では女性主人公で、女性刑務所が舞台。スタンド使いであろうと何とも出来ない不自由さの中での戦いを強いられている。第五部は舞台がイタリアで、登場人物もイタリア人ばかりと、独立性の強い話だったが、第六部では承太郎やDIOスピードワゴン財団の存在感がまた増してきている。やや中だるみの感も強いが、ラストはアッと驚く展開であり、ジョジョファンとしては、第六部は第三部と並んで読み飛ばすことのできない重要なお話である。
ところで俺は、徐倫(ジョリーン)と神父を除けば、第六部で最も好きなキャラクターはアナスイである。いや、もしかしたら「ジョジョ」シリーズを通して最も好きなキャラクターかもしれない。
アナスイは登場時から(まだ話したこともない)徐倫と結婚したいなどと言っているエキセントリックなキャラクターであり、殺人鬼だ。しかしよく考えると、本当にエキセントリックなキャラクターは、「結婚」などという相手の同意が必要な制度にどこまでこだわるだろうか、という疑問が沸く。俺は当初、結婚へのこだわりこそがエキセントリックさの発露かと思っていたが、本当にエキセントリックな変態男は、好きになった女を問答無用で拉致するとか、脳内で勝手に妄想するとか、そういう言動に走る方が多いのではないだろうか。そして言動だけでなく、本人の特性を表すスタンド能力も、もっと独りよがりで凶暴な、そういう方面に突き抜けて進化したはずだ。実際、第四部の吉良の「キラークイーン」はそうだった。プッチ神父の「ホワイトスネイク」も幸福のために他人の記憶やスタンド能力を奪い取る能力である。
その意味では、物体に潜行するアナスイのスタンド「ダイバーダウン」も、一見すると凶暴で、吉良やプッチ神父と同類に見える。しかし注意深く物語を読むと、決してそうではないことが明白である。「ダイバーダウン」は当初、「敵の体に潜り込んで敵の骨格を作り替える」などといったアナスイの凶暴さ・禍々しさを体現する使われ方をしていた。しかしラスト近くになり、「仲間の体に潜り込んで仲間のダメージを引き受ける」という献身的な使われ方をするようになるからである。
こんなシーンがある。ラストでのプッチ神父との戦いの最中、まさにクライマックスというところで、アナスイは承太郎に話しかける。この戦いを切り抜けたら徐倫との結婚を承知してほしいと。自分は殺人鬼の脱獄囚だし、そもそも徐倫が自分のことを好きになってくれるとも思わない。けれど承太郎が承知してくれたら、それが希望になると。その言葉があれば、この絶望的な状況でも命を賭けて戦えると。
もちろん承太郎はアナスイを強く警戒し、徐倫アナスイから遠ざけようとする(当たり前だ)。しかし徐倫本人はアナスイとの結婚を承知する。決してヤケクソになったからではない。もちろんアナスイに同情したからでも、しつこさに根負けしたからでもない。この時点では、まだ愛の萌芽すら感じ取るのは困難である。結婚承服の理由は言うまでもない。絶望的な状況において、アナスイだけでなく徐倫にとっても「結婚」が希望のビジョンになり得たからだ。希望とは楽観ではない。未来を具体的かつ前向きに思い描けることなのだと、アナスイ徐倫を見て俺は改めて思ったのである。
アナスイは、自分が呪われた存在であることを強く自覚しているが、同時に救われたいとも強く願っているキャラクターだ。結婚にこだわるのも、救いを求めているのである。結婚は自分だけでは出来ない。相手の同意が必要で、家族や仲間の祝福が必要だ。徐倫が本気で結婚に同意するのなら、承太郎も祝福するだろう。アナスイは生まれて初めて祝福され、そして生まれて初めて救われるのである。
アナスイの変化は、涙なしでは読めない。