森博嗣『月は幽咽のデバイス』

月は幽咽のデバイス (講談社文庫)

月は幽咽のデバイス (講談社文庫)

元・旧家の令嬢にして離婚経験のある一児の母であり自称科学者でもある探偵役の瀬在丸紅子(とその友人である保呂草潤平・小鳥遊練無・香具山紫子)が遭遇・解決した事件を、探偵でもある保呂草潤平が回想として記述する「Vシリーズ」の第3弾。
Vシリーズも3作目になり色々と見えて来たこともあるのだが、S&Mシリーズの序盤で見られたような「なるほど!」と膝を打ちたくなるようなトリックは、S&Mシリーズの後半やVシリーズになるにつれ、あまり出てこなくなった。そして(一部の犯人を除いて)犯人の動機にもあまり興味はないらしい。一方で、森博嗣がこだわっているなあと思うのが、犯人側ではなく探偵役とその周辺のキャラクター造形である。文体についても(普段は硬質なのに時にポエム的な文体になるなど)好みかどうかは別として作者の強いこだわりを感じる。トリックよりはキャラクターや文体を軸にミステリ作家としてのポジションを築きたいのかなと思う。
キャラクターという点でもう少し書くと、森博嗣の描くヒロイン像はS&MシリーズもVシリーズもよく似ていて、どちらもやや常識外れとも言えるエキセントリックな言動で、かなり複雑な性格の持ち主であり、頭のキレが良いけれどロジカルなだけでなく直感じみたイロジカルな思考も頻出する。つまり良く言うとミステリアスなのだが、悪く言うと感情移入しづらいキャラクターである。まあ登場人物に感情移入できれば良いというものでもないため、これが欠点だと言い立てるつもりは毛頭ないけれど、やや不可解なのはヒロインが「極めて魅力的な人物」として描写されている点である。俺に言わせると、これが「お話」なのだという前提を置いたとしても、周囲にいて魅力的な人物だと言えるかどうかは微妙である。この特徴的なヒロイン像は森博嗣の好みとしか言いようがないなあ。
なおS&Mシリーズのヒロイン・西之園萌絵のエキセントリックな言動には原因があって、(最初はイライラもしたけれど)その原因を知ることで、よりチャーミングな魅力を発するようになった。Vシリーズのヒロインである瀬在丸紅子にもそういう深みのある設定が備わっていると、読者としては嬉しいんだけど、さあどうだろう。元旧家の没落令嬢とか、愛人に夫を寝取られたとかのありふれた設定では、このエキセントリックさの原因としては正直貧弱である。