沢木耕太郎『王の闇』

王の闇 (文春文庫)

王の闇 (文春文庫)

一瞬の夏 (上) (新潮文庫) 一瞬の夏 (下) (新潮文庫) 敗れざる者たち (文春文庫) 王の闇 (文春文庫)
『敗れざる者たち』や『一瞬の夏』と同じ系譜にあるスポーツノンフィクション。



収録作は、事故により夭逝した大場政夫とその周囲を描いた「ジム」、瀬古利彦を取り上げた「普通の一日」、輪島功一の飽くなき挑戦を描いた「コホーネス<胆っ玉>」、前溝隆男を取り上げた「ガリヴァー漂流」、ジョー・フレイジャーを取り上げた「王であれ、道化であれ」の5編。
著者が本書の中で最も重要と語るジョー・フレイジャーや、カシアス内藤との対称性が興味深い大場政夫も良かったが、やはり輪島功一を取材した「コホーネス <肝っ玉>」が実に良い。
輪島功一は世界王者に3回登りつめた(そして3回王座から陥落した)、カエル飛びで知られる変則右ボクサーである。本書と『敗れざる者たち』の「ドランカー」を読むまで、輪島功一についてはただの憎めないおっさんくらいのイメージしか持っていなかった。しかしその2冊を読んだことで、今、彼に対するイメージは一変している。
『敗れざる者たち』の「ドランカー」では、挑戦は無意味で無謀だという批判に耐え、プレッシャーや老いを乗り越えて柳済斗を破り、輪島が3度目の世界王者に君臨する様を描いたのだが、これは本当に凄まじかった。数々のプロスポーツを見てきた沢木耕太郎にして「挑戦するということが、これほど祝福されたことはなかったかもしれない」というほどである。読者である私も大いに震えた。
そして本書。本書での輪島は更に凄まじかった……! 月並みの表現では語れない。
柳済斗との試合後しばらくして、著者は輪島を訪れた。そしてひとしきり談笑した後、もう引退してはどうかと告げる。ボクサーであることをやめ、チャンピオンのまま引退してもいいのではないだろうか、と。

 すると、彼は「おまえもか」といった寂しそうな表情を浮かべて言った。
「このあいだも、ある人にこう言われたよ。輪島、引退しろ、チャンピオンのまま引退するのと負けてから引退するのとでは雲泥の差だ。ボクシングをやめてからの人生が違ってくるぞ、って。みじめに負けてからやめたりすると、今までの栄光がすべて消えてしまうぞ、功績がパーになってしまうぞ、って。俺は考えたね。何てこいつはつまらないことを言う奴だ。もしも俺に何らかの功績というものがあったとして、そいつが何で今度負けたら消えてしまうんだ。功績というのはいつまでも残るから功績というんじゃないか。たとえどんな惨めな敗北を喫したってなくならないのが功績じゃないか。負けて帳消しになるようないい加減な功績なんか、こっちから願い下げだ」
 そして、輪島はさらに言葉を継いだ。
「俺はやめないよ。チャンピオンのまま引退するというのは確かに格好よく映る。でも、ほんとはちっとも格好よくないのさ。なぜ引退する? 負けると思うからじゃないか、負けることを恐れるからじゃないか、臆病だからじゃないか。体が決定的に壊れてもいないのに引退するのは卑怯なんだ。格好を気にする奴は臆病なんだ。まだ闘える。だったらたとえ負けても闘うべきじゃないか、そうだろ?」
 私は返事ができなかった。彼の静かだが決然たる調子に圧倒されていたのだ。「そうだろ?」と粘っこく問い返した時の輪島には、その眼の奥に蒼白い炎がゆらめいているような異様な迫力があった。
「喪うことを恐れるのは未練なだけだ。正々堂々と闘って、負けたら相手にチャンピオン・ベルトをくれてやればいい。それが新しい男への礼儀っていうもんじゃないか。大事なことは闘うということだけだ。闘って、それで駄目だったら堕ちればいい。どこまでもどこまでも堕ちればいい……」

壮絶なまでの覚悟である。ファイターの極北が垣間見えた言葉ではないだろうか。初めて読んだ時は文字通り体が震えたことを覚えている。いや、今でもこの文章を読む度に、ただのサラリーマンであるはずの自分の心が揺さぶられる……。
話を戻そう。驚くべきことに、輪島はこの言葉を実行するのである。
3ヶ月後の初防衛戦で敗北し、生死の境を彷徨ったが、彼は引退しなかった。
彼は試合の直後、病院で死人のように寝そべりながら、まさにこの時、もう一度闘うことを決意するのである。読者である俺には、今の状態こそが「体が決定的に壊れて」いる状態に思えるのだが、輪島にとってはそうではなく、そしてまだ闘志が残っていた。輪島は点滴ではなく食べ物を摂ろうとする。しかしどうしても食べられない。点滴などで命を繋ぎ、ボクサーとして戦えなくなることを恐れた輪島は、わずか4日で医者と喧嘩して無理やり退院する。そして自宅で自分を(文字通り)死の淵にまで追い込み、寝たまま奥さんに食べ物を無理やり口に押し込んでもらうのである。輪島功一は1ヶ月間、起き上がることもできず、糞尿も垂れ流しで、苦痛で息ができなくなってワァーと喚いて奥さんに体を揉んでもらってやっと息ができるようになるという状態を繰り返し、そして何とか起き上がれた後は歩き方すら忘れてしまっていた。帰宅後22日後にやっと起き上がれるが、家の外に出られたのはさらにその4日後だそうだ。
結局、今でもドタッドタッと不自然に歩くそうで、失われた体の機能はついに十のうち七か八しか戻らなかった。ボクサーとして決定的に重要な反射神経も鈍った。しかし輪島は闘うことをやめない。四度目の世界王座に向けてチャンピオンに挑戦する。しかし度重なる戦いから来る全身のガタと老いから来る減量苦で、試合のできるコンディションには到底持っていくことができなかった。第1ラウンドのゴングが鳴ってリングの中央に向かう時点で既に足がガクガクするほど体がボロボロの状態である。そして足のほとんど動かない状態で11回まで闘うも、最初で最後のタオル投入をセコンドが行い、ボロボロの状態でKO負けを喫し、ついに引退するのである。

「俺の試合にタオルはないはずだって、あとで怒ったけど、仕方がなかったのかもしれないな。お客さんも要求したというし、まったく、堕ちるところまで堕ちたよ……」
 そこで輪島はグラスを取り、一気に呑み干すと、しばらくしていった。
「ハッピー・エンドさ……」
 えっ、と私は訊き返した。輪島はいま、本当にハッピー・エンドと言ったのだろうか。
「そう、ハッピー・エンドさ。これからすぐ死んでも悔いはない。死にたくはないけどね」
 そこに自虐の口調はなかった。
「俺はいつまでやったとしても、ああいう終わり方で終わる俺しか想像できなかった。メチャメチャ、ボロボロになるまでやりつづけ、堕ちるところまで堕ちて、そしてやっとひとつのことをおえられる。そうでなければどうして納得ができる、どうして後悔せずにおえられるんだ……」

輪島は引退の話をした後、最後に引退後の第二の人生での夢を語る。

 これからどうするつもりなのか、と私は訊ねた。
「選手を作ろうと思う」
 と輪島は言った。
「よくジムをやれという人がいるけど、俺にはジムのオーナーはつとまりそうにない。でも選手は作ってみたい。コーチとして選手を作るということのほうが俺の本能に近いような気がするんだ」
「いい選手を作れるかな」
 冷やかしでなく素直な気持ちで訊ねた。彼も素直な調子でそれに応じた。
「よく名選手は名コーチならず、って言うよね」(略)
「でもね、俺は世界チャンピオンになったけど、まったく名選手じゃなかった。俺はあらゆる変則の手を使い、あらゆる能力を使って闘ってきた。そして試合に勝ったり負けたりしてきた。名選手というのは、そういうことをしないからね」(略)
「俺は名選手じゃなかった。だからこそいい選手が作れると思うんだ」
 そして、また一息でグラスを空けると、輪島は誇りに満ちた口調で言った。
「俺は二流だったけど、最期まで闘うことをやめないチャンピオンだった」
 私が何も言えないでいると、輪島が照れたように笑って私の顔を見た。
「そうだろ?」

シンプルだが、何と気持ちよく心に響く言葉だろう。輪島は確かに堕ちるところまで堕ちたかもしれない。しかし、そこに物悲しさは微塵も感じられなかった。彼は惨めと言われようとも自分の中がすっからかんになるほど限界まで闘い抜き、本心から「ハッピー・エンド」と言ったのである。彼の言葉には、そんな人間にしか出せない独特の鮮烈さと軽やかさがあった。彼の人生の第二幕はきっと祝福されるだろうし、また(辛いこともあっただろうが)これまで芸能界やボクシング界で活躍し続けていることを考えれば、概ね祝福されてきたに違いない。
それにしても、この短編は凄い。そして輪島功一は凄い。この短編は強く強く推薦したい。どのような世界でも良いが、ここまで徹底的に闘い抜いた人間が、果たして世界中に何人いるだろうか?