藤沢数希『ぼくは愛を証明しようと思う。』

ぼくは愛を証明しようと思う。

ぼくは愛を証明しようと思う。

藤沢数希という人は、外資系金融機関に勤務して金融関係のブログを書くブロガーという認識だったのだが、どうやら「恋愛工学」という怪しげな方法論も開発していたようだ。その方法論を基にした「戦略的恋愛小説」というのが本書らしい。
戦略的恋愛小説とは何ぞやという感じだが、藤沢数希という人は、男性にとっての女性というものを「腹が減ったときの食料」のように考えている。そしてここでの空腹感とは、セックスできないこと(非モテ・非リア充)による深いコンプレックスである。その劣等感を解消するために、どれだけ容姿の優れた女と数多くセックスして射精できるかが、恋愛(と言って良いかどうかよくわからんが、まあ一応)の全てであり、オスとしての価値の全てだ……と、藤沢数希は考えているように思う。
だから藤沢数希にとって恋愛の成功とはセックスの成功である。
上記を踏まえ、この恋愛工学という奴の最もベースにあるのが、以下の公式だ。

(セックスの)成功=ヒットレシオ×試行回数

ヒットレシオというのは簡単に言うと確率のことで、男性側の恋愛工学スキルによって上下する。ランクの高い女は落とすのが大変だと何度も本書で言及されているので、相手女性の容姿のランクによっても上下すると思われる。また試行回数は文字通り女の子にアプローチをかけた回数のことである。
つまり恋愛において(つまりセックスにおいて)成功するには、とにかくナンパを繰り返して試行回数を増やすことと、ナンパして会話を始める「オープナー」の技術や、電話番号を聞き出す技術、女を軽くディスって男のペースに持っていく技術などを鍛え、ヒットレシオを上げることに尽きる……というのが藤沢数希の揺らぐことのない主張である。まあこの公式を見る限り、私のような草食系は試行回数自体が少ないから、成功も少なくなるのは当たり前だな。
なお本書のラストではやや綺麗事めいたオチをつけているが、これは明らかに世間の批判をかわすための方便であり、藤沢数希の本心はあくまでも、徹底したスポーツセックスの信奉者である。これらは本書における以下のような特徴からも明白だ。

  • AランクやBランク、あるいは中の上・中の下といった女性の容姿のランクは何度も登場するが、特に容姿の具体的な描写はないこと(良いふくらはぎをしているかどうかだけは何故か何度も描写されていたが……)
  • 出会った女性の性格などの内面描写もないこと
  • セックスへの持ち込み方がワンパターンであるが、むしろそれを是としていること
    • 恋愛工学という考え方自体が、ナンパ→デート→自宅への連れ込みを、同じアプローチ(同じ店・同じ会話・同じデートコース)を何度も異なる女に繰り返し使って、女性対応スキルを高めていくというものである
    • 自宅への連れ込み後のセックスに至る展開と、そこでの女の反応もほとんど同じであり、女性の個別性を特に認めていないし、細かい恋愛上の駆け引きや女性の反応にも関心がない(ちなみに毎回ベッドに座らせたらすぐに押し倒して、「いやよ、いや、ああん」とか言ってる女の下腹部に手を突っ込んだら女のアソコはびしょ濡れで、よっしゃ準備整ってるなとセックスを始めるという様式美的展開が繰り返される)
  • 違う女、容姿のランクの高い女とのセックスを貪欲に求める割に、これまでの彼女やセフレとのセックスに「飽きた」という描写が頻出し、セックスを繰り返すことで愛が深まるとか、セックスはコミュニケーションであるとかの発想は、全く持ち合わせていないこと

要は、どんな女でも容姿のランク(と、男の恋愛工学スキル)によって難易度が変わるだけで、同じランクの女性に対しては、同じように振る舞えば同じように何人とでもセックスできるし、セックスして射精するという「オスとしてのゴール」に到達したらその女との恋愛は終わりなのである(思い出してほしい、藤沢数希にとって恋愛とセックスはイコールなのだ)。
その後、セックスに持ち込んだ女はセフレとしてキープされ、主人公(=藤沢数希)はセフレとセックスしながら、より高ランクの女を物色するのだが、女は「良い女を連れている男」には警戒することもなくどんどん近づいて自分から股を開くので、ランクの高い女とセックスをすることで、セックスライフの歯車はよりポジティブに回り出す……というのが本書の内容だ。
すんごい極論だな(笑)
Amazonでは賛否両論だが、私は合理的で面白い考えだと思った。でもタイトルと内容は合ってないよなあ。こんな内容とは知らずタイトルに惹かれて本書を買ってしまった女性陣や恋愛ロマン主義者な男性陣は、憤死するんじゃなかろうか。