片桐雅隆『自己の発見 社会学史のフロンティア』

自己の発見―社会学史のフロンティア―

自己の発見―社会学史のフロンティア―

自己の「語り」を鍵として100年間の社会学史を再構成するという極めて挑戦的な本である。Amazonさんからリコメンドされたので買って読んでみたが、これはガチの専門書なので、正直あまり理解できていない……。と言っても一応社会学系の学部を卒業していることもあり、わからないなりに一応、私のわかる範囲で要約しておく。

まず第1章では、社会学史を再構成するというからにはということで、社会学の3巨頭である西欧のデュルケーム・ジンメル・ウェーバーから出発している。しかし彼らは自己論そのものを体系的に論じているわけではないため、人間・人格・個人といった自己に言及する概念に焦点を当て、彼ら3巨頭が近代的人間あるいは近代的自己をどのように捉えようとしたかを整理している。続く第2章では、社会学の視点から本格的な自己論を展開した初めての社会学者として、アメリカの社会学者であるクーリーとミードを取り上げている。

その後、社会学が描く自己像は「大衆(the masses)」という概念によって大きく転換する。第3章では大衆および大衆社会に着目した社会学者であるオルテガ、マンハイム、フロム、ミルズ、リースマンを主に取り上げている。やや余談めくが、オルテガとフロムとリースマンはそれぞれ『大衆の反逆』と『自由からの逃走』と『孤独な群衆』という中二病気味の人文系インテリがほぼ必ず通る本を書いた社会学者であり、ミルズは社会学の方法論の源泉に触れた古典『社会学的想像力』を書いた社会学者であることから、社会学部以外の方にも馴染みがあるかもしれない。続く第4章では、パークやブルーマーなどにより展開されたシンボリック相互作用論を「大衆社会論としての集合行動論」として改めて位置づけ、解説している。

大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)

大衆の反逆 (ちくま学芸文庫)

自由からの逃走 新版

自由からの逃走 新版

孤独な群衆

孤独な群衆

社会学的想像力

社会学的想像力

第5章では、私化する自己やナルシス的自己といった自己論、あるいは共同体主義を取り上げており個人的には興味深かった。しかし取り上げられる社会学者はバーガー、ブリタン、ラッシュ、セネット、エツィオーニ、ベラーと、バーガーを除いては不真面目ながらも社会学系の学部を卒業した私でも全く知らなかった。それにバーガーも『日常世界の構成』(今は『現実の社会的構成』という書名で新版が出ている)を意味不明のまま読み進めた他は、社会学の入門書である『社会学への招待』(今は普及版が出ている)しか読んだことがなく、自己論の系譜で位置づけられるとは思ってもみなかった。

現実の社会的構成―知識社会学論考

現実の社会的構成―知識社会学論考

社会学への招待

社会学への招待

さて、本書を書くきっかけを著者に与えたエリオットとレマートは、現代社会における個人主義を4つに分類している。曰く、「操作された個人主義」「孤立した私生活主義(privatism)」「再帰的(reflexive)個人主義」「新しい個人主義」の4つである。これに古典的な個人主義を加え、個人主義の類型は5つになるそうだ。なお、ここでの「操作された個人主義」は第3章で、「孤立した私生活主義」は第5章で取り上げられているが、エリオットはどちらも否定的に捉えた。エリオットが注目したのは3つ目の「再帰的個人主義」である。第6章ではギデンズやベックの再帰的自己論を取り上げている。この再帰的あるいは再帰性という概念は非常に重要で、かつ私にとっては説明が非常に難しい。簡単に言うと、再帰性が高いと言うのは、「自分の生き方や在り方を自分自身で決める範囲が広まっているような状態」と考えて良いだろう。すなわち他人とのやり取りや社会との関係性を常に考え、自己を振り返り、自己像を不断に修正して行くような自己のことを再帰的自己と呼ぶ、と理解している。

第7章と終章は……正直もう力尽きてしまい、あまりよくわからなかった。とりあえず中心人物は『リキッド・モダニティ』を書いたバウマンである。

リキッド・モダニティ―液状化する社会

リキッド・モダニティ―液状化する社会