- 作者: 太宰治
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1950/12/22
- メディア: 文庫
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読みながら最初に思ったのは、この妻はこういう劣悪な環境に適応してしまっているという点である。これは太宰の生きた時代に限った話ではなく、現代にも普通に見られる症例だ。例えば、とんでもないブラックな企業で働く自分を何とか正当化するうちに、その駄目な状況に結果的に適応し、格差を再生産してしまうという症例。また、暴力を振るうDV夫の暴力に日々耐えるうちに妻は「この男は私がいないと駄目なんだ」と辛い日常に励みを与えてしまい、それどころかそうした辛い日常に耐える自分の姿に美学や快感を覚えてしまい、家庭内暴力を再生産してしまうという症例。実のところ、この隘路に陥ってしまうと抜け出すのは極めて大変である。しかし主人公においては、居酒屋の夫婦が押し掛けてくることで、転機が訪れるのである。……まあこういう読みは正統的とは言えないかもしれないが、非常に興味深く読み進めることができた。
なお太宰については「思春期の頃に読め」という物言いをよく聞く。なるほど、確かに社会人として何年も働いてきた人間が本作の主人公の夫に感情移入するのは難しいかもしれない。この夫は(おそらく)近代化・西欧化の波を受けて苦しむ近代人の一つの象徴的な類型であり、深刻な問題をいくつも孕んでいる(いた)のだろう。しかし、この男は、他人に迷惑をかけて、死にたいなどとウダウダ言って、しかもそういう自分が駄目であることも、自分がどう見られているかも十分に理解している。そして自分がポジティブに見られてもネガティブに見られても決して満たされることはなく、極め付きはそうした歪んだ自分に歪んだナルシシズムを感じているのである。もちろん小説としては面白いので、太宰が描く駄目男への感情移入の度合いという意味になるが、こうした(いわゆる)厨二病患者の苦しみを理解するのは、やはり思春期の方が相応しいのかもしれない。