村上龍『すべての男は消耗品である。 VOL.8:2003年5月~2005年5月 衰退止まず』

すべての男は消耗品である。VOL.8: 2003年5月?2005年5月 衰退止まず

すべての男は消耗品である。VOL.8: 2003年5月?2005年5月 衰退止まず

村上龍が長年書いているエッセイシリーズ。これまで敬して遠ざけてきたが、電子書籍化されているのを知り、まとめて読んでいる最中。

VOL.1やVOL.2は本当どうしようもないんだが(一周回ってそこが良いという説もある)、VOL.3ぐらいからだんだんと文体が強度と密度を備え、それに連動して書いている内容も日本人・日本社会・日本文化の曖昧さといったエッセンシャルなことを繰り返し述べるようになってきた。いや、逆かな、エッセンシャルなことを述べるために文体を変えたのかもしれない。まあいずれにせよ、これまでの感想でも書いてきたように、村上龍は苛立ちとある種の諦念を共存させながら、繰り返し日本という社会や文化が本質的に持っている曖昧さとその弊害やリスクについて語ってきたわけだ。

しかしVOL.8の2つ目のエッセイのタイトルがいきなり「うつと、元気と、おせっかい」となり、何だこれはと思って読み始めた瞬間、以下の文章。

 最近このエッセイが、硬すぎるというか、マクロな政治・経済のことばかり書いているというか、もっと読者に近い感覚でというか、そういうリクエストがあった。同じような思いはわたし自身もあって、どんなことを書けばいいのかなと考えていたところだったので、今回から少し違う感じで書いてみようと(略)

といって方向性を無理やり変えようとするわけだが、まあ難しいよね。

ザ・ベストマガジンだっけ、これってエロ本だから。

エロ本を読む読者に近い感覚と言われても難しい。

なので村上龍も、そのリクエストの難しさを正直に吐露しながらああだこうだと書いている。ロシアの女性デュオ(t.A.T.u.がMステをドタキャンした事件のことだろう)について書こうと思ったけどそもそもt.A.T.u.のこと自体初めて知ったぐらいだしなーとか、ベッカム来日騒動について書こうと思ったけど結局それもどうでも良いよなとか。もう50歳過ぎで、文体も冷静そのものなのだが、村上龍がt.A.T.u.やベッカムの騒動について何か言及しようとうんうん唸っているところを想像すると正直笑えてくる。あーこれが、女性が言うおっさん萌えの心情なのかと思ったが、この話題は多方面から顰蹙を買いそうだし誤解も受けそうなので、この辺で止めておこう。

閑話休題。で、結局、本質的にあんまり変わってはいないんだけどさすがに多少ソフトになって、身辺雑記のようなことも多少書きながら日本社会や日本経済のことも述べるという、VOL.3からVOL.4ぐらいの書きぶりに落ち着いてきたというか。まあ確かにあのまま突っ走ったら、VOL.10ぐらいで経済思想書みたいになってもおかしくなかった。