落合陽一『デジタルネイチャー』

デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂

デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂

色々なところで最近よく落合陽一の名前を聞くので、図書館で借りてみた次第。落合陽一の本はどれも人気があって、平気で数ヶ月から半年は待たされる。この本もかなり前に予約したのだが、やっとわたしの番が回ってきた。

で、ざっと読んだのだが、これは何なんだろう。小難しい言葉遣いだが、少なくとも学術書ではない。自己啓発書とも違う。エッセイというか、啓蒙書というか、宗教書というか。正直よくわからないが、気になったところを一箇所だけ引用してみたい。

 ワークライフバランスが声高に叫ばれる近年においても、鬱病などで精神を病む人が後を絶たないのは、社会が未だにタイムマネジメントに支配され、ストレスマネジメントの発想が定着していないからだ。この問題は、残業を禁止し仮に22時に帰宅させたところで解決しない。時間はある一定の意味を持ちうるが、それだけでは効果が少ないことも多い。時間による労働管理でストレスが生じているのに、さらに時間的な制約を増やすのはむしろ逆効果にしかならないかもしれない。ストレスを感じない人間は好きなだけ残業をすればいいし、逆に、長時間労働が苦手な人には、早く帰宅する分だけ、高いクオリティの成果を求めればいい。重要なのは頭脳の演算による仕事のせいかとストレスマネジメントであって、労働時間管理それ自体には、何の意味もないのだ。労働のハード思想からソフト思想への転換である。
 我々の社会が抱えている最大の格差ーそれは経済資本の格差ではなく「モチベーション」と、その根底をなす「アート的な衝動」を持ちうるかの格差である。
 現行人類のコンピュータに対して優れている点は、リスクを取るほどに、モチベーションが上がるところだ。これは機械にはない人間だけの能力である。逆にリスクに怯え、チャレンジできない人間は機械と差別化できずに、やがてベーシックインカムの世界、ひいては、統計的再帰プロセスの世界に飲み込まれるだろう。

経済格差でも文化格差でもなくモチベーションの格差が社会を覆っている、という主張にわたしは強く同意する。はてなブックマークに寄せられたコメントを見るとそれは一目瞭然だ。仕事は悪、働くことは悪、残業は悪。努力も成長もしたくないが、それは努力や成長をさせようとしない上司が悪いのだ。そして自分は何ら工夫しなくても許されると固く信じているのだが、他人が工夫しないのは許さない。さらにはエクセル職人(ゆとりずむのらくからちゃ氏はTwitterでエクセル芸人と言っていたが)が過剰にもてはやされるし、エクセル職人が自動化・早期化した分の時間は何故か、エクセル職人が丸々その間、遊んで良いことになっている。

著者がここで述べる「アート的な衝動」とは、「個々人の文脈において、それをせずにはいられない欲求・衝動」を指すのだが、それははてなブックマーク界隈においては、仕事で発揮してはならないものなのである。

わたしは仕事を憎悪する人やチャレンジを憎悪する人がいても全く構わないし、好きにしてくれよと思うのだが、わたしとは住む世界が違うなと思う。そして同じ世界に引きずり込まれたくないな、とも。